荒船神社

 

 『荒船山』を御神体とする山岳信仰ですので『荒船神社』が在ります。

 

 『長野県と群馬県境』に位置する『荒船山』ですので、両県にそれぞれ『荒船神社』が存在します。

 

 『富士山』を御神体とする『富士浅間神社』が『山梨県』と『静岡県』にあるのと同じですね。

 

 『富士山信仰』が『浅間(せんげん)神社』なのに『浅間山』には『浅間神社』が無い? 

 

 高峰高原からの登山口には『山の神神社』が在り、此れが浅間山を御神体とする『神社』だったと思います。

 

 実は『浅間山山頂』に『祠』が在ったと思うのですが、現在噴火活動の為に確認に行けない状況です。(行きたいんですよホントは………でも規制だから仕方ないんです)

 

 

 さて『荒船神社』 位置的には『下仁田・荒船の湯』から旧道を西へ200m。

 

 今は走り易い『バイパス』を通過しますので、荒船神社の鳥居すら見えませんけど、50年前はこの旧道をトラックも走ってました。

 

 

 コンクリート製の階段中央に手摺が付いています。此れが歳とって来ると有難い。

 

 石段下には『狛犬』が。でも普通向かって右側は口を開けた『阿吽の阿』の形では?

 

 

 上の写真が石段下の向かって右側。下の写真は向かって左側。

 

 

 前脚の細さと云い、何て味が在るんだろう。

 

 でも何となく思い浮かべません?『ミニラ』 知っている人は分かる筈。知らない人は検索どーぞ。

 

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石尊大権現

 

 『取出・百番観音』を拝観し、さて帰ろうかとバイクに跨って信号待ち。其の時『百番観音』の境内に在る『火の見櫓』の隣に、グリーンフェンスに囲まれた『石灯篭』を発見しました。

 

 信号が変われば発車するだけなのですが、何か気になってバイクを降りました。

 

 

 上部は『常夜灯』の体を成した灯籠ですが、その胴の部分。

 

 何だ?

 

 

 鱗が見えますから『龍』か『蛇』のどちらか。

 

 台座には『石尊大権現』と彫られています。

 

 『石尊』とは、江戸時代に大流行した『大山詣で』の『山岳信仰』と『修験道』が融合(神仏習合)した独特の宗教で『十一面観音』を本尊としました。

 

 『龍』や『蛇』は河川や湖沼の守り神で在り、『十一面観音』に化身して治水や雨を司ったとされます。

 

 干支の『巳』と『辰』とじゃ大分印象が違いますが、要は『水』の守り神として『十一面観音』の化身として人々から崇め奉られた存在です。

 

 教育委員会さん。此れ凄く価値ある石灯篭だと思うんですけど。

 

取出百番観音

 

 取出の信号傍に『取出・百番出世観世音観音堂』が在ります。

 

 年に一度、お盆の時に地区の『夏祭り』が行われ、観音堂も公開されます。

 

 普段は鎧戸が閉ざされ、中を覗くことも出来ませんが、今回は扉が開いていました。

 

 靴を脱いで御堂の中へ。

 

 

 カメラをオートにして撮影。

 

 

 お~。此れは公開時に見てみたい。

 

 

 御堂の片隅には『賓頭盧尊者』が置かれています。

 

 そう云えば『善光寺』で『賓頭盧尊者像』が盗難に遭う事件が在りましたが、すぐに発見されて戻されたようです。犯人はバチが当たるぞ。

 

 

 そして奉納提燈に『おきな堂菓子店』の名前。

 

 うちも商売繁盛したら何か奉納したい処ですけど………なんせ不景気で。

 

 観音様。商売繁盛お願いします。

 

下海瀬・諏訪神社

 

 千曲川右岸道路・通称『佐久川上線』を南下していると、海瀬集落の入り口付近に新しい道が開いていました。

 

 小海線のすぐ脇に『バイパス』する二車線の道路が開通しており、細い住宅地の中を走らずに済みます。

 

 初モノ好きの私は、早速走ってみます。

 

 

 ガードレールに切れ目は在るのですが、JRにしてみればそりゃそうだろ。

 

 でも順序から行けば、最初に神社在りき。その参道を『小海線』が横切り、更に小海線に沿うように『バイパス』が開通しました。

 

 近くに『踏切』もあるようですが、草の踏み跡を見ると皆さん此処を渡っているようです。

 

 

 鳥居の上に尖がっている三本の棒は何でしょう? 鳥除けかな。

 

 そもそも鳥居とは『鳥(鳳凰)』がとまる為のもの。 避雷針の訳無いし。

 

 

 拝殿内は至ってシンプル。先ずは参拝しまして。

 

 

 廻り込んで『本殿』 

 

 斜面を削り取って立てられていますので裏山を『野面積み』の石垣で養生しています。

 

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中止の滝

 

 『御巣鷹山』へ向かう時に案内看板をみていましたが、後回しにしておいた『中止の滝』 固有名詞の読み方は様々在るけど『なかどめ?』『ちゅうし?』

 

 

 撮影角度に無理が在るのは、この看板の前に車が停まっていたから。

 

 丁度この付近の『橋』を点検中で、拡幅部に数台、関係者らしい人の車が停まっていました。

 

 大概の案内看板は駐車場から通路へと続く所に立っている事が多いですが、無関心にその前に車を停める人が多いみたい。自分が読まないから他の人も見ないとでも思っているのかな。

 

 『中止の滝』の滝の由来は兎も角、赤いペンキで塗りつぶされている『100m』の部分。実際は200m位あったから塗りつぶしちゃえ。ってところでしょうか。

 

 

 看板から少し登った処に『滝』が在ったのですが、わざわざ作業を『中止じゃ~』と止めた程の見栄えかと云うと………

 

 奥へと続く山道があり、半信半疑で歩いてみると。

 

 

 単管の手摺とか、ロープが張られているから、かなりの人がこの道を通っている筈。

 

 googlemapで現在地を確認するとやはり山の奥に『中止の滝』が在る模様。

 

 mapを地形図にして標高差を読むと100mはありそう。

 

 『御巣鷹尾根』で1時間程山を登った後だから、余り無理したくないところですが………

 

 直線距離は大した事なくても、標高差が曲者なんですね。

 

 

 う~ん、私の体重が約100㎏。壊す訳にいかないから、枯葉の上を踏みしめながら。

 

 一本折れているのは私じゃ無いですから。

 

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本谷分校跡地

 

 県道124号線から『オボロカヤの滝』を通って『御巣鷹山』へと続く『中之沢林道』を走ろうと思って『ぶどう峠』経由で上野村入りしましたが、関係者以外通行止め。頑丈な鉄扉が閉められていました。

 

 『南相木ダム』と『上野村ダム』の中間には、地中に『発電施設』が在り、その立坑が航空写真で確認できます。おそらく『御巣鷹山トンネル』の群馬県側出口が此の辺りに在るのでは? でも通行止めなら仕方ない。

 

 で『中之沢林道』の反対側出口に在る『本谷分校跡地』ってどんな場所?と好奇心たっぷりに向かいますと。

 

 

 反対側のバリアーはポール式。人の通行は可能ですので少し歩いてみましたが何も無し。

 

 分校が在ったって事は、子供が歩ける範囲に集落が在ったって事。

 

 山奥では自給自足の為の『田畑』が必需の筈なのですが、そのような平地も見あたりません。

 

 

 昭和18年と云えば『大二次大戦』の真っ最中。戦争特需の『硫黄鉱山』らしき物は見当たらないから、『松根油』の採取?にでも大勢の家族が住んでいたのか。

 

 閉校となるのは昭和38年。今から61年も前ですから手がかり無しです。

 

 

 コンクリートブロックの積み方も不思議。(強度が無い)

 

 鳥居が在るから『神様』を祀っていますが、神様の名前がわかりません。

 

 鳥居を潜って参拝します。

 

 此の辺りまで人が入り込んで生活が在ったとは、とても想像もできない場所です。

 

 尚の事『中之沢林道』走ってみたくなっちゃう。

 

御巣鷹尾根・昇魂之碑 part2

 

 前回途中で書き込むのを辞めたのは、何か寒気が………

 

 私。特別霊感とか強いとか、感じやすいとか無いですけど、それでも過去何ヶ所か足を踏み入れるのを躊躇った場所が在ります。

 

 高所恐怖症も無い為、結構高い場所も平気。閉所恐怖症や暗所恐怖症なんてのも縁遠いですが、『佐久穂町・〇〇寺』とか『〇〇峠駐車場』とか………

 

 正直『御巣鷹山』 物見遊山やハイキング気分で行く場所じゃありません。

 

 

 実はこの場所に来るまでの間に『〇〇慰霊の碑』と名前と享年の書かれた『慰霊碑』がそこかしこの山の中に立っています。中には家族で在ろう同じ名字が同じ場所に。

 

 訪れたのは8月初旬。事故の在った8月12日に行われる『慰霊式』前に訪れた遺族・知人の方が居るのでしょう、生花が供えられた慰霊碑も在りました。

 

 山の中に細かく分けられた地番も、慰霊で訪れた際、山の中をさまよわない様にする為でしょう。

 

 色々な場所で『水』が汲めるのも、重い水を持って山道を歩かなくて済むように施された『手向けの水』です。

 

 

 昇り詰めると広場が在り、ベンチが置かれています。

 

 

 いくら整備されているとは云えやはり山道。普段運動不足ではかなりキツイ。

 

 日陰のベンチで汗を拭きまして。

 

 

 広場から一段高い所に『昇魂之碑』が建っています。

 

 『空の安全祈願之鐘』を鳴らします。

 

 『昇魂之碑』に向かって合掌。

 

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御巣鷹尾根・昇魂の碑

 

 上野村から清流沿いの舗装路を登り詰めると『御巣鷹尾根駐車場』に着きます。

 

 なんとこの細い山道を大型バスが上って来るそうです。

 

 ボランティアさんが駐車場所を指示しますので注意に従って。

 

 其処から山道に入ります。

 

 

 沢山の『杖』が用意されているって事はそこそこの山道を、大勢の人が訪れるって事でしょう。

 

 『スゲノ沢』沿いに、細い山道を行きますが、『慰霊登山』に訪れる大勢の人の為に道は整備されています。

 

 

 参拝道に沿って所々で『湧き水』が流れ出ています。

 

 そう。あくまで此処は慰霊の為の『参拝道』

 

 

 道の傍らに『石像・石仏』が並び、花が手向けられています。

 

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御巣鷹観音

 

 『上野村』から『御巣鷹山』へ向かう道沿いに綺麗な清流が流れています。

 

 『利根川』源流のひとつです。

 

 『上野ダム』から『御巣鷹尾根・招魂之碑』に向かう沢沿いに『御巣鷹観音』が建立されています。

 

 今でこそ『御巣鷹尾根駐車場』迄一般車が入れるようになりましたが、それまでは此処から沢沿いを歩いて『御巣鷹尾根・招魂の碑』を目指しました。駐車場・トイレが整備されたのも最近の事。

 

 湧き水が滾々と湧き出ていますので殻のペットボトルに満たして山歩きに備えます。 

 

 

 沢沿いに建てられた『御巣鷹観音』

 

 『観音様』とは『観世音菩薩』『観自在菩薩』の事で、人間の女性の姿をした仏教の神様です。

 

 根本は全ての人々の、あらゆる願いを聞き叶える為に、時に『千手観音』『聖観音』『馬頭観音』など33種類の観音様に姿形を変えます。

 

 

 『蓮の花』を手に優しく微笑んでいます。『聖観音様』でしょうか。

 

 

 磨かれた大理石は光を反射しちゃうので文字が読みにくいですけど、『日航機墜落事故』後、多くの人が訪れる様になったこの場所に慰霊の為の観音様を建立したとあります。

 

 

 沢沿いの散策路は『御巣鷹尾根』慰霊登山の為の道ですが、その後舗装路で奥の駐車場まで車で入れるようになりました。

 

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上野ダム

 

 長野県の南相木村には日本一高所に在るダムが在ります。

 

 石を積み重ねた『ロックフォールダム』で、表層部に『石灰岩』を使用している為、ダム下の『渦巻く広場』から見上げると、青空に向かって真っ白い壁がせり上がっている様に見えます。『三川』を『南相木ダム』で堰き止めた『奥三川湖』………何のこっちゃ。

 

 この『南相木ダム』の造り出した『奥三川湖』の水は発電に利用されますが、『非常排水』以外に長野県側に流れる事は無く、取水口から地下パイプを通って『群馬県・上野ダム』に流れ込みます。途中で『発電タービン』を廻して発電し東京都に向け送電するのですが、深夜の電力需要の少ない時間に『上野ダム』に貯めた水を揚水ポンプで『南相木ダム』まで汲み上げ、電力需要の多い時間帯に最大の発電能力を発揮する仕組みです。

 

 その『南相木ダム』と『上野村ダム』を繋ぐパイプが通っているのが『御巣鷹山』直下です。

 

 以前『南相木ダム』に行った時、群馬県ナンバーを付けた『TEPCO』の車が駐車場に入って来ました。

 

 二つのダムの所有者は『東京電力株式会社・TEPCO』 『原子力発電所』や『尾瀬沼』なども所有する巨大企業です。

 

 そしてこの二つのダムの間には『御巣鷹山トンネル』が在り、ダムの維持管理の為に車で行き来できるようになっています。

 

 

 何故かピンボケ。フルオートなのに?

 

 

 2kmチョットで『御巣鷹山』の真下を走り抜けます。このトンネルが無ければ『ぶどう峠』経由で2時間。冬場の道路冬季閉鎖期だと『内山峠』経由で5時間!の遠回りになります。

 

 

 トンネルの壁に在るプレート。 う~ん通りたい。どっかにコネ無いかなぁ。

 

 そして二つのダムの中間に『神流川発電所』が在り、航空写真では『立坑』や周辺施設が確認出来るんですけど、う~ん誰かコネ持ってない?

 

 

 でコネの無い私ゃ『ぶどう峠』経由『しおじ温泉』経由で走って来ましたので、トンネルとトンネルの間の『上野ダム入り口』へ。

 

 『中ノ沢林道』が走れれば『御巣鷹山』に向かえるんですけど現在道路閉鎖中です。

 

 

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毛針釣り

 

 長野の田舎で育ったせいか、『渓流釣り』は子供の頃から親しんでいました。

 

 まぁ『クチボソ(もろこ)』や『フナ』『鯉』がメインでしたけど。

 

 バイクに乗るようになると行動範囲が広がり、山の中の沢迄行けるようになると『ヤマメ』『イワナ』狙いになります。

 

 『餌釣り』がメインでしたが、バイトしてお金が手に入ると『ルアー』や『フライ』にも手を出しました。

 

 段々趣味が高じて来ると、『フライ』も自分で捲いてみたりして。

 

 『フライフィッシング』は『ライン(重さと強度の在るナイロン糸)』の先端に付けた『フライ(毛バリ)』を『ロッド』の反発力で飛ばします。

 

 渓流を歩いて遡りながら、魚のいそうなポイントにフライを落とし、釣れなければ移動を繰り返します。大きな岩の陰や水の落ち込みなどを探りながら沢沿いを遡るのですが結構な運動量になります。

 

 

 『キャッチ&リリース』は私の性に合わない。釣った魚は必ず食べます。

 

 釣り針を刺して、ダメージを与えたのに『グッドファイト』なんてよく言えるなぁ。

 

 一説には魚は傷みを感じないと云われてますけど、人間だって『棘』が刺さった位で大騒ぎする人いるじゃないですか。

 

 

 車が停まっていたので沢を見ると釣り人が居ました。

 

 こんな綺麗で静かな場所で釣りなんていいだろうなぁ。(リリースする位なら釣らないですけど)

 

 

 興味のある方『上野村漁業協同組合』へどうぞ。

 

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中之沢林道

 

 『ぶどう峠』経由で『御巣鷹山』を目指したのは『中之沢林道』経由で『上野村ダム』上流まで行ける近道だからです。

 

 で『中ノ沢林道入り口』

 

 

 ハイ。通行止めです。

 

 2019年の台風19号が秩父から北上。長野・群馬県境に大雨を降らせ、鉄砲水や土砂崩落により多大な被害を与えました。

 

 交通量の少ない林道などは補修が後回しにされ、挙句「通行止めでも困らないじゃん」と判断されたのか、現在も通れない道路が在ります。

 

 『佐久穂町・古屋ダム』と『上野村・熊倉』を結ぶ『林道大上線』もその一つ。

 

 普通の人には通れなくても何ら問題在りませんけど、『オフロードバイク』で林道を走って『景勝地』や『滝』を写真に撮りたい私には大きな痛手です。

 

 『林道』には税金で造った道路を一般車両も自由に通れる『スーパー林道』と、入山目的や鉄塔建設の為に私費(一部公費)で造った『占有林道』が在り、後者はほとんどがゲートやバリヤーで閉鎖されています。

 

 『スーパー林道』や地方県道などでも、『通行止め』が行ってみないと解らない場合が多くて………

 

 

 私は若い頃から『ツーリング』や『ドライブ』をする時、『全国ロードマップ』なる物を駆使して道順を考えました。だから地図は『北が上』(北半球ですから)じゃ無いと方向感覚が狂います。

 

 なもんで『カーナビ』の設定も常に『north-Up』 北を上にして表示します。

 

 進行方向が常に上になると逆に迷う?(迷う訳ないんですけど)

 

 この地図は北側に面して設置されていますから『北が下』

 

 此れが一番混乱します。首を傾げるだけ傾けて頭の中で『north-up』に変換。

 

 

 本線はしっかり舗装されていて、秋から山に入る人多い筈です。

 

 『紅葉』しかり『キノコ狩り』しかり。

 

 でも今年は『熊』の出没件数が突出して多いですから注意が必要です。

 

 車は『鉄』や『硬質ガラス』に囲まれているから『猿』なんかと出会っても平気ですが、バイクだと下手すりゃ体当たりしてきます。

 

 『熊』は、バイク走行中はバイクのエンジン音を聞いて『熊』の方から逃げ出してくれます。怖いのは『歩いている時』 取り敢えず『熊スプレー』だけはすぐ取り出せるようにベルトに取りつけて歩きます。他に100均の『火薬鉄砲』(バンって鳴る火薬のオモチャ)と「熊鈴』はウエストバックに入れてます。一度遠方を歩いている熊を見掛けましたけど何事も無く山の中に消えていきました。

 

 『鹿』もよく見かけます。群れでいる場合も多いですけど、エンジン空ぶかしで逃げてってくれます。冬場の夜など融雪剤に撒かれる『塩カル』を嘗めに道路に顔をだしてる鹿に遭遇する事ありますけど、余り逃げないから『オスの角』で車を傷つけちゃう事も。

 

 『猿』の群れに遭遇した時用に『護身警棒』もベルトに取りつける場合も在ります。使った事ありませんけど万が一の安心材料です。チンピラの群れと一緒で多勢に無勢で調子コク奴が必ずいます。『イノシシ』に襲われたことは無いですけど、イザ向かってきたら眉間に一撃(出来るかは不明)

 

 『スズメバチ』対策に以前は『スズメバチスプレー』まで持って行った事在りますけど、大きさの割には噴射時間8秒でお終い。余り実用性は無いかな。で見かけたら兎に角逃げる。(あっ手で払ったり、走ると追ってきますよ)見掛けたら近づかないのが宜しいかと。

 

 『蚊&ブユ&アブ』対策には『虫よけスプレー』が必需。小さな『化粧用スプレー』に小分けして持って行きます。露天風呂などで『アブ』に襲われたら頭上でぬれタオルを振り回すのが一番かも。

 

 『ヤマビル』には首に巻いたタオルが有効です。頭上の枝などから落ちてきて、襟からシャツの中に侵入してきます。吸血されたら『タバコの火』を近づけるのが最善ですけど私ゃタバコ吸わないし。大体背中に入りますので一人じゃ無理。

 

 『毒蛇』 日本の場合はマムシです。ヤマカガシは猛毒だけども毒牙が口の奥に在り、指でも口に突っ込まない限り咬まれない。蛇の攻撃範囲を迂回すれば大丈夫。一応『ポイズンリムーバー』も持っていますけど。

 

 私は以前一度『スズメバチ』に刺されてますので今度刺されたら『アナフィラキシーショック』を引き起こす可能性が在ります。で『スズメバチ用アドレナリン注射』=『エピペン』が1本¥11000/1年有効(保険適用負担3割)刺され無きゃ無用ですし、単独行動が多い私。山の奥地で刺されたら注射しても医者に辿り着くまで何時間かかる事やら。

 

 此れだけ準備万端・用意満タンで山行き。綺麗な場所を見つける為ですけど、この頃は足腰応えるし。翌日、痙攣や筋肉痛でシップ薬の出番ですもん。

 

 

 あ~あ。許可車両及び許可者以外進入禁止。

 

 解ってりゃ事前に連絡しとくけど、個人的撮影って許可下りない事が多いんだよね。

 

 滝まで行きたかったな。

 

マムシ岳

 

 『佐久市』から『群馬県・上野村』へ向かう道は『内山峠経由・国道254号線』『十国峠経由・国道299号線』『ぶどう峠経由・県道124号線』の三路線が在りますが、時間的にも距離的にも早いのが『内山峠』 偶に走りたくなるのが『十国峠』 滅多に走らないのが『ぶどう峠』

 

 今回は『御巣鷹山』を観る為に『ぶどう峠』を超えました。

 

 『御巣鷹山・展望台』は前記の通り樹木が伸び過ぎ眺望無しでした。

 

 で『県道124号線 上野・小海線』を『北相木』からバイクで走ったのですが、対向車も追従車も一切無し。まっ山ん中ですから良くある事ですけど。

 

 

 その名前からか、私ゃ登りたくないですけど『マムシ岳』への登山口が在ります。

 

 

 結構人が入るのか踏み跡がしっかり付いています。

 

 

 だってこんなに綺麗な沢が在るんです。

 

 私ゃ此処で『おにぎりタイム』 沢の水も飲めそうな位澄んでます。飲みませんけど。

 

 だって今日日の山歩きで一番怖いのは『熊』次いで『スズメ蜂』

 

 対策が無いと迂闊に山に入れません。

 

 又今度ね。って事で次に向かいます。

 

御巣鷹山展望台

 

 8月初旬の店休日、オフロードバイクに乗って一路『北相木村』へ向かいました。

 

 途中、小海町のコンビニでお茶とおにぎりを買ってバイクに戻ると、一人の男性が話しかけて来ました。私と同じバイクに乗っていたそうです。此れから何処に向かうのか聞かれ、『ぶどう峠』から『御巣鷹山』へ向かうつもりですと答えると、1985年当時消防団員だったその方、飛行機墜落事故の一報を受け、『北相木村消防団』も総出で山に向かったそうです。其の時、小回りが利くようにと『オフロードバイク』で『ぶどう峠』を超えたたと云っていました。『ぶどう峠』を越え、群馬県に入って暫く行くと小さな御堂が在る。事故慰霊の為に長野県の有志が建てたものだそうです。

 

 『群馬県・上野村』には村内の国道近くに『慰霊の園』が造られ、現地に行けない人が慰霊を捧げる場所が在ります。しかし南佐久郡の事故に関わった多くの人が赴くには遠い為、『ぶどう峠』近くに『御巣鷹山』の見える場所を探し出し、狭い道路の脇に御堂を立てました。

 

 駐車場まで拡幅する予算は無かったそうで、すれ違い待避所に有志が建立したそうです。

 

 観光地ではありませんので、どれが『御巣鷹山』とかの案内も在りません。

 

 展望台と名が付いていますが遙拝所であり神聖なる場所です。

 

 

 残念ながら樹木が伸び過ぎ、『御巣鷹山』が見えませんでした。

 

 合掌の後出発です。

 

入笠山

 

 最近は通年営業のスキー場リフトのお陰で、ずいぶんと山行きが楽になりました。

 

 尚且つ『山頂テラス』が大流行りの昨今。リフトやゴンドラを降りたら直ぐ絶景が待っています。しかも『レストラン』や『売店』も在ったりして『トイレ』にも困らない。

 

 冬しか稼働していなかったスキー場にもかなりの収入をもたらしていると思います。

 

 

 『富士見パノラマリゾート』も、冬の『スキー&スノーボード』だけにあらず『マウンテンバイク』の『ヒルダウンコース』や、『入笠山登山』に大人気。

 

 この日の『ゴンドラ』利用者も『登山組』より『バイク組』の方が多かったかな。

 

 

 ゴンドラのケーブル越しに『八ヶ岳』がクッキリ。一番高いのが『主峰・赤岳2889m』です。

 

 『八ヶ岳』は『休火山』とされていますが、その麓各地に温泉が湧出していますので、地下の浅い所に熱源がある筈です。

 

 日本一高い位置に在る温泉、『本沢温泉・天空の湯』も『八ヶ岳硫黄岳』に在ります。

 

 

 『スキー場』ですので『ゴンドラ山頂駅』を降りると直ぐ緩やかな下り。

 

 夏草に覆われたスキー場の斜面と別に、『マウンテンバイク』のコースが、腕前に併せて幾つか用意されています。

 

 私は『オフロードバイク』に乗っていますので、多分ヒルダウンも平気。でも今日は自分の足で『クライミング』です。

 

 

 山頂駅から20分も歩けば『入笠湿原』です。

 

 でも余り草花は咲いていなかった。暑すぎるのかな。

 

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パラグライダー

 

 20歳の頃、『石垣島』を旅行しました。

 

 それまで貯めていた貯金を解約して、初めての「飛行機』 初めての『スキューバダイビング』『パラセール』『ウインドサーフィン』『水上スキー』『ジェットスキー』 とリゾートスポーツを出来るだけ体験してみようかと。結構お金使ったのは覚えています。

 

 『体験ダイビング』ではボンベ1本分/40分位で¥10000。(だったかな?)

 

 『パラセール』が20分位の空中浮遊で¥5000。(はっきり覚えてない………)

 

 『ウインドサーフィン』は陸上講習の後、波間に浮かべて3時間位格闘してどうにかこうにか立っていられる迄。¥8000。(だから40年も前の話です)

 

 『水上スキー』 信州人ですからスキーはお手の物と思いきやまるっきりの別物。それでも直ぐに海上を滑走出来ましたけど。暫く右に左にスキー板を廻していると、ボートは大きく蛇行。船首が切り開いた曳き波(航走波)の中はほぼ平らですが、曳き波を超えたら波がモロにぶつかって、初心者には無理!(わざとやったな)20分¥5000。

 

 『ジェットスキー』 当時の『ジェットスキー』は『Kawasaki』の『立ち乗り&ポップアップハンドル』 オフロードバイクで鳴らした腕前のつもりでターンをしようと身体を傾けたら………ドボン。人が落ちてもジェットスキーは半径3メートル位の円を描いてクルクル回っているから摑まるのは簡単なのですが、体を引き上げるまでが一苦労。後部から身体を引っ張り上げる感覚です。 『ジェットスキー』はボディ下の噴射ノズルの向きを左右に向ける事で進行方向を変えます。この時バイクの感覚で身体を倒してしまうと落ちます。今の『水上バイク』は『シート』に座って『バーハンドル』を操作するタイプです。安定性が良い為、多少傾けても大丈夫。30分¥10000(発売されたばかりで一番高かった)

 

 『プレージャーボート』でサンゴ礁だけの島『浜島』までの送迎と昼の弁当付き。(これは無料にしてくれた様な?)

 

 一日遊び疲れて『白い砂浜』(サンゴ礁の死骸が粉砕されたモノ)の波打ち際に寝転んでたら何処からともなくエンジン音が聞こえてきました。甲高い音が聞こえてきたのは空の上。『エンジン・パラグライダー』でした。

 

 一番近い『竹富島』からでも5キロ以上離れている筈。

 

 頭上を過ぎ、『西表島』の方向へ飛び去って行きました。

 

 真っ青な空、かなりの高度をゆったりと飛び去る『エンジン・パラグライダー』(今は『モーターグライダー』と云うそうです)の優雅さに魅了されました。

 

 『レジャーガイド』さんに聞いても初めて見たと云ってました。

 

 で時は流れて。

 

 

 最近一冊の本を手にしました。

 

 『ゼロからのパラグライダー挑戦』

 

 その本の巻頭に書かれていたのが

 

 「この本との出会いが全ての始まり」

 

 「きっと何かが変わる。この本に出合ったあなた。あなたは、パラグライダーで大空を飛ぶ。………」

 

 暗示にかかった訳じゃ無いですけど『パラグライダー』かぁ………良いなぁ。

 

 

 私は年に数回バイクで『美ケ原ビーナスライン』を走ります。

 

 先ずは『車山』の麓に在る『単車神社』で安全祈願。その後『霧ヶ峰』手前の駐車場でおにぎりタイム。この駐車場こそが『霧ヶ峰滑空場』の滑走路の延長上に在り、着陸するグライダーがほんの数メートル頭上を飛んでいくのです。

 

 それこそ『プロレスラー・ミルマスカラス』の入場テーマ『Sky High』が大流行の頃、三角形の『ハング・グライダー』が大挙してこの大空を飛んでいました。

 

 残念ながら10年程前に起きた『ウインチ事故』以来、めっきりとその数は減ってしまい、『ハンググライダー』に於いてはその姿を見る事も無くなってしまいまいた。

 

 

 余談ですが『ハング』は洋服掛けの『ハンガー』と同じ意味で『摑まる・ぶら下がる』の意味です。

 

 一時流行ったアウトドアメーカー『HANG TEN・ハンテン』(半纏じゃ無いよ)はサーフィン用語で『10本の足の指で摑まる』という意味です。

 

 『ロッククライミング』で岩にぶら下がる時は、どう考えても『HANG EIGHT』(親指が掛けられない)

 

 

 でやって来たのが『富士見パノラマリゾート』

 

 此処で『パラグライダー』が体験できるのです。

 

 

 到着したのがAM9:00チョイ過ぎ。今日の受付は終了していました。

 

 ハーネスを身に付け、グライダーを立ち上げ、ふわりと浮き上がる。

 

 良いなぁ。と指を咥えて眺めていても邪魔になるだけなので、諦めて『ゴンドラリフト』へと向かいました。

 

 

 次回へと続く。

 

初夏の貞祥寺

 

 紫陽花が色付く初夏。『貞祥寺』を歩いてみました。

 

 朝5時には目が覚めます。仕事が押していればそのまま仕事に入りますが、暇なときは散歩がてらのウォーキングです。

 

 此れがまた、早朝から歩いている人、結構いるんです。

 

 中学生の頃は毎朝、『学校』~『貞祥寺』まで走って往復していました。

 

 石段を『うさぎ跳び』で登って、足腰を鍛えていたつもりですが、現代の医学的には『膝を壊していただけ』だとか。お陰で正座出来ないですもん。

 

 

 紅葉の時期も良いですけど、新緑の頃も素敵。

 

 特に『三重塔』周辺が好きです。

 

 

 此の『三重塔』 一階部分の四隅に彫刻が彫られているのですが、

 

 

 東西南北の各面に『鳥と樹木』が掘られています。

 

 

 昔からの取り合わせで『松に鶴』『梅に鶯』とか『竹に雀』(花札じゃ無いですけど)

 

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野地神社

 

 私の出身中学は『野沢中学校』です。

 

 進級すると校舎の階が上がり、3年の時に3階。そこから眺める景色はなかなか素敵でしたが、学校から西に広がる広大な面積の『田圃』が、区画整理されたのが丁度その頃で、稲刈りの終わった秋から冬にかけて、朝から晩まで大型重機が動き回っていました。

 

 曲がりくねったりしていた『畔』を真っ直ぐにし、『三反=30m×100m=3000㎡』の面積を持つ田圃に造成されました。それ以前所有していた田圃の面積が小さかった処はどうしたんだろう?

 

 公平を期すため場所は『くじ引き』だった筈です。(家は田んぼが無かったので詳しくは知りませんが)

 

 今はその『田圃=農業用地』も『居住地認可』され、大分『宅地開発』が進みました。

 

 

 その時移築されたのか、元からこの場所に在ったのか分かりませんが、田んぼ中の一角に小さな『祠』がが祀られています。

 

 夏。涼しいうちに『ウォーキング』をしようと、朝5時頃に歩いていて見つけました。

 

 私の50m程前を歩いていた女性が、この『祠』の前で帽子を取り一礼を捧げていました。(田んぼを持っている人かな?)

 

 

 注連縄で繋がれた『マユミ』の木。幹のごつごつ感に年代を感じます。

 

 とすれば『農地整理前』からこの場所に在ったのかも知れません。

 

 『野地神社』と書かれた立て札しか無く、詳しくは分かりません。

 

 どなたかご存じの方いらっしゃいましたら一報ください。

 

 佐久市教育委員会。出番ですよ~。

 

滝不動寺

 

 『コスモス街道』から旧道へ入り、『城山保育園』前の細い道を進むと。

 

 ん? 『城山』 そう此の裏手の山には『平賀氏』の居城『平賀城』が在りました。

 

 佐久市内には南北に流れる『千曲川』に対し、東から西に流れる『湯川』『滑津川』や『雨川』など『群馬県境』を出発点とする河川が沢山在ります。

 

 西から東に流れる河川には『中沢川』『倉澤川』『居川』『滝川』『片貝川』などが在りますが、水量はそれほど多くありません。

 

 佐久地方は3000㍍級の山が連なる『北アルプス』『中央アルプス』が壁となって雨雲の流れ込むのを防いでいます。そして更に『八ヶ岳連山』や『車山』が在るお陰で大きな水害が起きづらくなっています。

 

 2019年。佐久地方に被害をもたらした台風19号は、関東に上陸し『群馬県境』を北上しました。

 

 北半球における『台風』は『反時計回り』に風が流れ込みますので、この時『東から西』に流れる各河川に大雨が流れ込み、『土砂崩れ』や『倒木』による『鉄砲水』が発生しました。唯一の救いとなったのが、その年の収穫を終えた田圃が多かった事です。(田圃に流れ込んだ砂利交じりの土砂はその後数年間稲作が出来ませんでしたが)

 

 普段少ない水量を想定していた河川が氾濫。鉄砲水は樹木をなぎ倒し、流れ出た樹木は橋桁に溜まりダムを形成します。そして橋の決壊と共に下流の端に向かいます。此れを繰り返し『入沢地区』や『常田地区』に大被害を与えました。

 

 此れは江戸時代に起きた『戌の満水』に次いで起きた大被害だと云われています。

 

 

 『城山保育園』から『平賀城の入り口』に向かうと鳥居が在るのですが(写真失敗)何故か極端に低い。扁額に書かれた文字も読めなかったので『行けば分かるさ』と『アントニオ猪木』の心境で進みますと

 

 

 見えて来たのは『御堂』基礎にコンクリートが使われているから最近の建築でしょう。

 

 でも軒から下がっているのは『鈴』と『鈴緒』

 

 神社に見られるものです。

 

 普通お寺に在るのは『鰐口』 紐に付けられた『撞木』で『鰐口』を叩く仕組みです。

 

 

 蝋燭立てと線香立てが置かれています。

 

 車の中には『線香・蝋燭』を常時積んでいるから、何処でも『線香』をあげる事が出来るのですが、バイクじゃ………

 

 

 虫・害獣避けのガラスで守られ、『お不動様』と『如来菩薩様?』が並んでいます。

 

 いや、鳥居は? 神様を祀ってるんじゃ………

 

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やすらぎの里

 

 佐久市内に同じ名前の、JA主体の葬祭場『やすらぎの里』が在りますがまるっきりの別物です。

 

 実は『余地ダム』に向かう時に道沿いの看板が気になっていたのですが、『美味しい物は後に取って置く主義』のこーちやん。最後にたっぷり時間を掛けて………。

 

 

 看板を観る限り、『お寺?』 まさか『アミューズメントパーク』なワケ無いし。

 

 有料だったら引き返せばいいや位の気持ちで坂道を下りました。

 

 

 いきなり『仁王門』 でも『参道』や『本堂』らしき建物は見当たらない………どころか広場には

 

 

 鉄骨を溶接している作業の真っ最中。

 

 作業音の止んだ瞬間を見計らって、見学可能か訪ねると「いいと思うよ」

 

 邪魔にならないように片っ端から写真に収めます。

 

 

 『涅槃像』

 

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千本桜

 

 この『千本桜公園』も、ダム建設の助成金で出来た施設です。

 

 

 要は、ダム建設で『ダンプ』や『資材運搬トラック』が引っ切り無しに通るから、其の迷惑料として『公園』造るね。

 

 タダの緑地公園じゃつまらないから、桜を1000本植えましょう。

 

 と取引でもしたのでしょうか。

 

 『ダム建設』は其れだけ旨味のある事業なのでしょうか。

 

 そう云えば『群馬県・八ッ場ダム』もすったもんだの末、結局強行して完成させちゃった。

 

 片や『原子力発電』は日本の地殻構造から、『廃炉』にせざるを得ない場所が数か所。

 

 「絶対安全ですから」の言葉で『原子力発電所』を建設し、イザ事故が起きたら『想定外』ってそりゃ無いですよね。

 

 で何だかんだで金が架かるからと電気料金値上げ。日本には『独占禁止法』が在るからと、『電力販売会社』を認可したけど、結局は『絵に描いた餅』

 

 今だに避難生活で故郷に住めない人が居るのに、『東〇社員』は相変わらずの高給取り。せめて幹部だけでも賞与返納しているかと思えば………

 

 

 あっ。誤解無い様に付け足しますけど『余地ダム』の所有者は『長野県』です。

 

 『発電』目的では無く、『洪水調節』と『上水道利用』の為の多目的ダムです。

 

 

 広い公園はキャンプ禁止。でも『BBQ』とかはできるの?

 

 駐車場・トイレ・水場は在りますが、『熊』も出そうな場所です。

 

 ゴミなんか置きっぱなしにしたら………

 

 ホント『熊』 怖いもん。

 

余地ダム

 

 『ダム』好きです。(カラオケ含む)

 

 コンプリートを目指していませんけど、ある程度『ダムカード』も持っています。

 

 基本、訪れた『ダム』の管理事務所などで『一人一枚のみ』の無料配布です。

 

 でも『ダムカード』の配布場所が、必ずしも『ダム事務所』(常駐していない?)とは限らず、かと言ってセルフ式に並べておくと一人で何枚も持ち帰り『転売』する輩がいるとか………

 

 最近では対策として、『役場』とか、近くの『公共施設』(南相木ダムの場合は『滝見の湯』)で証拠写真を見せて引き換えに入手出来るスタイルが増えています。

 

 『ダム』備え付けの『アンケート用紙』がダムカード申し込みになっていて、切手を貼った返信用封筒同封の上、管理事務所に送付すると後日ダムカードが送り返されるシステムの所も在ります。(四万温泉・四万川ダムなど)そこまでして欲しいとも思は無いけど。

 

 

 今年は水が豊富らしく、湖底が見えたりしていません。

 

 『ダム』は『浚渫』などのメンテナンスをしないと『土砂』が堆積してしまうそうです。

 

 『YouTube』などで『ダム・土砂排出』の動画などが見られますが、以前のダムは『水を抜き』、『乾かし』、『重機(パワーショベル・ダンプカー)』等で運び出す方法を取っていました。

 

 規模のでかい『佐久間ダム』等は『浚渫船』を持っていて、湖低の土砂を組み上げるシステムを持っています。この『浚渫船』も結構大きくて、道路上を運ぶことが出来なかった為、バラした部品を『佐久間ダムドック』で組み立てたそうです。

 

 

 『余地ダム』は『土砂排出用水路』は無いのかな?

 

 

 『ダム』は河川を堰き止めて造られますが、其の河川は『人口集中部』を流れる事も在ります。

 

 『第二次世界大戦』戦時中、『ドイツ』の工業地帯上流に在る大型ダムを『魚雷』攻撃で破壊し、下流に甚大な被害を招きました。各国で『ダム破壊』を防ごうと『魚雷』を食い止める『ネット』などを張りました。すると『ダムバスター』と呼ばれる『跳弾爆弾』を開発。飛行機から投下された『ダムバスター』は水面を跳ねながらダムに到達し、沈下してから爆発、ダムに大きな被害を与えました。

 

 『空気中』で爆発するより『水中』で爆発した方がエネルギーが有効に伝わる為、この『ダムバスター』の威力は相当なものだったでしょう。

 

 『ウクライナ戦争』(ソ連侵攻とは云えない)に於いて『ダム』が破壊されたとか、『原子力発電所』が攻撃された等の報道を見ると、『平和』が在ってこその『施設』で在り、戦争が勃発したら格好の攻撃目標になり得る。

 

 特に『狂った隣国』は『核ミサイル増産』を宣言しているし………

 

 「あんまりナメてると、やっちまうぞコラ!」と言える政治家は出てくるのだろうか?

 

自成寺part2

 

 『山門』は二階建てで、一階部分に『仁王像』

 

 なかなか男前の顔立ちと筋肉美です。

 

 天井に書かれている『風神・雷神』 もうちょっと保存状態が良ければなぁ。

 

 佐久穂教育委員会さん。此処ですよお金の使い処は。

 

 二階部分には『観音像』や『十六羅漢像』が納められているそうですけど、階上には上れないみたい。どっかに資料とか無いですかね。

 

 

 山門から先、更に石段です。昔の人は健脚だ。

 

 

 迫力あるお顔。『達磨大師』は『黄檗宗』の筈ですけど、同じ『禅宗』という事で。

 

 

 見事な大屋根の本堂。合掌して扉に手を掛けると………あら!開きました。

 

 きっとご住職さんが、朝のお勤めの際に解錠するのでしょう。

 

 昨今の治安状況から、施錠されている場合が多いので有難い事です。

 

 

 綺麗に掃除された本堂。畳の匂いが心地よいです。

 

 先ずは合掌して御本尊拝観。

 

 すっきりした祭壇も良いですね。

 

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自成寺

 

 国道462号線の『余地入り口』交差点を左折し県道108号線、通称『佐久穂下仁田道路』へ入ります。(でもこの道、下仁田へ抜けられるわけじゃ無いのにね)

 

 橋の袂に『自成寺』の案内が出ています。

 

 橋を渡ると総門が在り、参道が続いています。横に車道が在りますから、普通の人は上に在るであろう駐車場迄、車で乗り入れるのでしょうけど、私ゃ山門から歩く主義なもんですから。

 

 神社も出来るだけ『一の鳥居』から『奥之院』迄歩く主義です。流石に『富士山本宮浅間神社』は『冨士宮市』から『奥之院』の『富士山山頂』………『岳 みんなの山』の『島崎三歩』(架空人物)と『グレートトラバース』の『田中陽希』さん位でしょうか。

 

 

 正式名称『曹洞宗・金剛山・自成寺』

 

  この辺りを納めていた『伴野左近中将自成』氏の『勝見城』が在り、『俊庵麟英和尚』を招いて開山したと記されています。

 

 『寺院』の名前に人の名前が付いている処は割と多いです。(長野・善光寺とか)

 

 でも『扁額』に書かれている文字は『くずし字アプリ=miwo』でも反応しない。

 

 『妙義〇?』 AIでも読めないんだから私が読めないのも当然。

 

 

 総門の天井画『雷神』と

 

 

 『風神』 風の入っている『袋』だと思うのですが………如何せん保存状態が。

 

 

 石積みを見ると『切剝ぎ積み』なので新し目。覚悟を決めて登りますか。

 

 私ゃ『スズメバチ』が苦手なので辺りを警戒しながら歩きます。

 

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佐久穂・余地諏訪宮

 

 『余地ダム』へ向かう途中『神社鳥居』を見て此処神社が在るのを知ってはいたのですが、今まで立ち寄った事は在りませんでした。

 

 さほど急ぎでも在りませんのでバイクを停めます。

 

 

 扁額の文字が読めない………

 

 昨今のAI技術は『草書体』や『行書体』を解読できるそうですが、スマホ対応アプリに成ら無いかな。(googlchromeさん。開発お願いします)

 

 

 手水舎の水道は出ませんでした。

 

 参道を進んで拝殿にて参拝。

 

 

 無造作に『おみくじ』が置かれていました。

 

 何中に何か居たら嫌だから上から覗き込んで確認してから一枚選びました。

 

 多分有料なのでしょうけど、消えちゃっていて不明なのでお賽銭を大目に入れときます。(相場は¥100?)

 

 結果は『末吉』

 

 『おみくじ』の順位(って言うのか?)は『大吉』『吉』『中吉』『小吉』『末吉』『凶』『大凶』とする説と、『大吉』『中吉』『小吉』『吉』『末吉』(一部『末吉』『吉』の順)『凶』『大凶』の二つがあるそうです。

 

 『大吉』『吉』『凶』の三つで充分じゃね?(グレーゾーンが好きな民族ですから)

 

 そもそも『おみくじ』は『御神籤』と書き発祥は『神社』と思われていますが『比叡山』に学んだ『元三大師(慈恵大師)』が、中国の『天竺霊籤・てんじくれいせん』を元に『元三大師百籤』を造ったのが始まりとされています。

 

 おみくじが『一番』~『百番』まで在るのもその名残だとか。

 

 『元三大師』は『角大師』とも呼ばれ、『疫病』の流行した年に危険な修行をしてガリガリに痩せてしまい、弟子にその姿を刷らせ、各家庭の門口に貼るように命じました。

 

 我が家にも『上田国分寺』の『元三大師』の御札が貼ってありますけど、お陰で『新型コロナ』には疎遠で済みました。(気は心ですから)

 

 『おみくじ』を木の枝に結び付ける人が居ますが、掃除する人にしてみれば迷惑千万な行為です。

 

 『大吉』のおみくじなら財布の中に入れておいても良いですけど、『結び場』が用意されていなければ『御札納め所』に収めるのが宜しいかと。

 

 私ゃ普段、『おみくじ』は引かない主義です。

 

 中三の初詣に友達と出かけ、引いたおみくじが『凶』だった事が在って、それ以来滅多におみくじは引いていません。今回は協賛金の意味合いも在って引きましたけど『末吉』………

 

 

 派手な装飾等も無く、割と質素な感じです。

 

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野馬除け

 

 『望月』は有名な名馬の産地です。

 

 広大な牧場を形成する為に、『望月~御牧ケ原』にかけて『柵』の代わりに地形を利用した天然の『堀と土塁』を構築染ました。

 

 その跡地が

 

 

 その広さ約1000町歩!(ってどの位の広さだ? 東京ドーム何個分とかも比較対象を頻繁に目にしてないからイマイチ分らん)

 

 その広大な牧場は自然の谷などを利用し、更に土塁を築き上げ、足りない分に『木の柵』を張り巡らしたとか。

 

 流石に『柵』は残ってませんけど。

 

 

 『御牧ケ原・信大農学部』の入り口近くに小さな社が在ります。

 

 『御牧神社』と在ります。

 

 『御牧ケ原』は皇族献上の為の『馬』を放牧していた場所です。

 

 今でも広大な農地の広がる『御牧ケ原』をバイクで走るのは気持ちいいです。

 

 

 小振りでも『千木・鰹木』を備えた立派な神社。

 

 一升瓶が良いですねぇ。

 

 私ゃ『現代の鉄の馬=オフロードバイク』に乗りますので、交通安全の為に一礼します。(酒の為じゃ無いですよ)

 

 

信永院

 

 このお寺も『院』としており『寺』は記されません。

 

 何でだろう?と調べて(ググるだけ)みますと………

 

 

  院は僧侶の居住するところ、寺は仏教寺院を指す言葉です。

 

  院は垣をめぐらした建物の意で、回廊や垣根で囲まれた園という意味もあります。

 

  院号は上皇の称号、天皇の追号、女院の称号としても使われており、寺院につける名前でもあります。 

 

  寺には山号、院号、寺号があり、その3つを合わせたものが正式名称となりますが、決まりはないため昔ながらの呼び名が現在も使われています。

 

  寺と院でどちらの格が上というわけでもなければ、中身が違うというわけでもありません。

 

  天皇家・摂関家と関係が深い寺院に院号で呼ぶ場合が多いと言われています。

 

  戒名に用いられる院居士・院大姉・院信士・院信女は、戒名のなかでも高貴とされる院号です。

 

 

  早い話、昔から呼ばれた名前で、どっちでも構わないみたい。

 

 

 『曹洞宗・金峰山・信永院』

 

 『信永・のぶなが』は人の名前で『甲斐・武田信玄』の弟『信繁』氏の三男に生まれ、望月城城主の養子だった兄『信頼・のぶより』氏が若くして亡くなった為、望月氏の姫と結婚し望月を家督相続する。

 

 ナントこの時『信永』14歳(しかも数え年)。その後『長篠の戦』で戦死するが享年24歳。

 

 この『信永』を弔う菩提寺として建立されたのが『信永院』です。

 

 

 『信永』が開基? 齢24歳で寺のスポンサーですか。まぁ『殿様』ですから。

 

 参拝と思ったのですが施錠されており本堂前で合掌。

 

 御本尊は拝観出来ませんでした。

 

 

 樹齢500年の『榧の木』です。

 

 こんな形の木、初めて見た。

 

望月山・城光院

 

 望月城址の麓、依田川沿いに立派なお寺が建っています。

 

 『曹洞宗・望月山・城光院』 普通、お寺の称号には『〇〇院・〇〇寺』と続く場合が多いですが、此処は『城光院』のみ。

 

 門前に在る工場の、従業員駐車場と思しき一角にバイクを停めまして。(他に駐車場が在るのかも)

 

 

 素敵な門構え。特に扁額が素敵。(読め無いですけど)

 

 『ステンレス製の手摺』と『センサーライト』が無ければ、映画ロケに使えそうです。

 

 最近は『草書・行書』を読み取れるAIアプリが完成されたと新聞に出ていました。

 

 無料でダウンロードできないかな。

 

 

 『望月城城主・望月氏』の菩提寺として創設され、御本尊『阿弥陀如来坐像』は『望月氏祖先』を模しているとか。拝見したいものです。

 

 

 境内は歴史を感じさせる石像などが多々あります。

 

 本堂にて参拝。扉は………開きませんでした。

 

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望月城址

 

 眺望の良い『望月城址展望台』で一休みの後、木製の階段を上ります。

 

 

 一応手摺も付いていますけど、ナンセ体重コンマ1t。踏み抜いたりしたら他の人に迷惑かけちゃうから慎重に足元を確かめながら。

 

 

 鳥居では無く『櫓門』みたいなものでしょうか。

 

 

 この高台に城郭が在ったのですが、石垣などは見当たりません。

 

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望月城址・展望台

 

 それこそ、古い時代の『砦』から数えると『城跡』なんて星の数(一寸大袈裟過ぎ)程も在るのではないでしょうか。

 

『城跡辞典』によりますと、その数10038ヶ所と書かれています。欲しいんだけど結構お高いし、バイク移動が多いから『お荷物』になっちゃう。

 

 

 『依田川』から上り上げる道も在りますが、『旧中仙道・瓜生坂』から北へ120m程進んだ分岐に案内が出ています。(二駆普通車は進入禁止)

 

 山道を登り詰めると『畑』………よくある事で、広い平地をいつしか畑に使ってるのかと思いましたが、畑の向こうに一段高い平らな場所が見えます。そりゃ行きますよ。折角此処まで来たんだから。

 

 

 この土手を迂回して

 

 

 一段高くなった場所へと歩いていると

 

 

 林の中にやっと見つけたそれらしき案内。

 

 因みに舗装路の分岐以降、一切案内は在りません。

 

 気が付かなきゃ引き返してますよ。

 

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旧中仙道・八幡宿~望月宿

 

 『塩名田』で千曲川を渡り『八幡宿』では旧町並みの間を通って来た『旧中仙道』

 

 『佐久平』からの『県道44号線・バイパス下仁田浅科線』と合流する『百沢東』交差点のすぐ脇に旧道分岐が在ります。(ほぼ気が付かない)

 

 

 その集落の一角に在るのが『祝言道祖神』です。

 

 

 新しい方は近年に造られたのでは?お酌している様子が見られます。

 

 小さい方は風化してきてます。手を握り合ってるみたい。

 

 桃の節句の『雛人形』は『結婚式』の様子を表しており、向かって左側が男性。

 

 つまり此の道祖神とは立ち位置が逆です。

 

 

 確かに男性の衣装、胸元とか見ると神官さんみたいだし、女性も『十二単』とかじゃない。

 

 そうやってみると確かに滅多に見られない貴重な物なのかも。

 

 

 隣は『消防団詰め所』と『火の見櫓』が建っています。目印にどうぞ。

 

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再生可能エネルギー

 

 野辺山に在る『宇宙観測用パラボラアンテナ郡』は有名ですが、佐久市にも『パラボラアンテナ』が在ります。それも二つ。

 

 一つは日本一の直系を誇る『JAXA宇宙空間観測所』の64mパラボラアンテナ。

 

 『小惑星イトカワ』に着陸し、微粒子を採取して地球に帰還した『ハヤブサ』をテーマに実話をもとに製作されたドキュメンタリー映画『ハヤブサ』 帰還途中で太陽電池パネルの向きがズレてしまい、バッテリー切れで交信不能になってしまいますが、僅かな電波を此の『64mパラボラアンテナ』が受信し、姿勢制御に成功。無事帰還させた影の立役者です。映画の中で「臼田どうぞ~」と呼ばれている場所が『JAXA宇宙空間観測所』

 

 敷地内には受付が在り、訪問記念のステッカーを貰えます。

 

 アンテナ内部に入る事は出来ませんが『資料館』が在り、興味在る人には面白い場所です。

 

 

 そしてもう一つが『JAXA美笹深宇宙探査用地上局』 佐久から大河原峠へ向かう途中、山の中に突如姿を現します。

 

 此方の直径は54m。敷地内は立ち入り禁止ですが、大河原峠から見下ろす事が出来ます。

 

 

 『大河原峠駐車場』から『トキンの岩』寄りに少し行った処がお勧め。

 

 秋の紅葉シーズンに是非どうぞ。

 

 

 此処の敷地内に新しく出来たのが

 

 

 『再生可能エネルギー発電』の『微風発電装地』です。

 

 日本各地に『大型風力発電装置』は見られますが、その巨大さ故に設置・維持に莫大なお金が掛かりますし、メンテナンスも結構大変だとか。そして強風時の『騒音・振動対策』が難しく、台風直撃時などプロペラ回転数は制御されますが、揺れを見ると恐怖を感じてしまいます。(事実モーター部分から発火事故発生)

 

 以前も『微風発電装置』は在りました。円筒状縦長の回転翼が廻るタイプ。

 

 此の『三つの小型ファン』は初めて見ます。

 

 風向きに併せて全体が向きを変えるのでしょう。

 

 『電気』の性質として疎かに出来ないのが『送電線ロス』

 

 送電線の中を電子が流れる時に生じる抵抗で、送電距離が長ければ長い程ロス率は高くなります。つまり『電気需要』の場所と『発電所』がちかければ近い程ベター。

 

 『日原電』の皆さん。住まいの隣に『原発』造ってみては如何?

 

 『太陽光発電』だけでは夜間・曇り時に心もとない方。『微風発電』一家に一台どうですか?

 

グライダーふれあい館

 

 『霧ヶ峰スキー場』のすぐ脇に平べったい建物が在ります。

 

 『グライダーふれあい館』 『グライダー格納庫』と『展示場』を兼ねており、広報活動の為、無料でVTR上映を行っています。

 

 

 此処から『グライダー』を引っ張って来て『滑空場・滑走路』まで運び、『エンジンウインチ』に繋いだ『ワイヤー』で引っ張って上昇する仕組みです。

 

 『マリン・リゾート地』によく見る『パラセール』は『モーターボート』や『ジェットスキー』で引っ張ると、あっという間に空高く舞い上がりますが、理屈は一緒。

 

 

 初期の頃に大空を舞った『名機』を始め、『パイロット講習機』や『練習機』など所狭しと並んでいます。

 

 羽を広げた状態だと場所を取るので、胴体から両翼を外した状態で分解され格納されています。

 

 

 某局の『鳥人間〇ンテスト』も、近年では『琵琶湖縦断』する『プロペラ機』が現れたりして其の機体の美しい事。

 

 人力で30㎞近くを飛航してしまうんですから。

 

 『高木村』から『小串鉱山』へと向かう『毛無峠』は広々とした『笹薮』を滑走路に、山岳地帯特有の強風を活かした『ラジコングライダー』の聖地となり、沢山の機体が大空を旋回しています。(私ゃ口を開けて空を見上げているだけでしたけど)

 

 やっぱり自分で空飛んでみたい。と云う訳で私ゃ『パラグライダー』へ挑戦です。

 

 『グライダー』に興味ある方。

 

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藤原咲平・顕彰碑

 

 『グライダー滑空場』ですから、障害物が無い方が良いに決まっています。

 

 故にこの丘の上には『スキー場リフト山頂駅』『霧鐘塔』の他に建築物は在りません。

 

 尚且つ『立ち木』もほぼ皆無。唯一木陰の在るのが『藤原咲平・顕彰碑』の周りです。

 

 

 陽射しがキツイ夏の午後。一息入れようと木陰を探して唯一見つけたのがこの石垣の一角です。

 

 レリーフに『藤原咲平』と在ります。

 

 こんな時、スマホでググれば答え一発!〇〇〇ミニ。(解かった人は55歳以上)

 

 

 元中央気象台長で在り、霧ヶ峰の丘陵地帯に昔留学したヨーロッパの『グライダー滑空場』を重ね、『グライダー研究所』を創設した人です。

 

 日本のグライダー発祥の地である『霧ヶ峰』は、発着陸可能な、なだらかな『丘陵地帯』と、幾つもの上昇気流が沸き上がる地形を持ち、『グライダー』にとって格好な場所です。

 

 一頃は三角の翼を持った『ハンググライダー』が流行でした。映画やプロレスラー登場のテーマ曲『スカイ・ハイ』を耳にすると何故か無性に空に憧れました。

 

 現在。割と気軽に『パラグライダー』で浮遊体験できます。

 

 地上数メートルの高さを数メートル滑空するだけなら、午前中いっぱいの練習で¥8000程で体験できます。

 

 自由気ままに空を飛び廻るなら『ライセンス収得』と『装備一式』が必要ですけど。

 

 

 『霧ヶ峰グライダークラブ』では、『二人乗りタンデム機』によるライセンス収得制度も在るみたいです。

 

 詳しい条件とかは『霧ヶ峰グライダークラブ』へお問い合わせ頂くとして。

 

 

 残念ながら石が柔らかいのか、風化して所々が読めません。

 

 『藤原咲平』さんの功績を称え、此処に顕彰します。的な内容だとは思うのですが。

 

 唯一の木陰に陣取り、お茶とおにぎりタイム。

 

 吹き抜ける風が気持ちいい。

 

 私が山に登る時(トレッキングですが)、『シャボン玉』を持って行く事が多いです。

 

 『童謡シャボン玉』の作者、『野口雨情』さんみたいに身内に不幸があった訳じゃありませんが、風に乗ってどこまで飛んでいくかを見たいもんで。

 

 『シャボン玉』が割れる理由のひとつが『重力』 『シャボン玉液』が下部に集まり、上部が薄くなって割れてしまいます。風に乗ってランダムに廻ればそれだけ割れにくくなり遠くまで飛びます。

 

 それと最近の『シャボン玉液』は『界面活性剤』や『グリセリン』を含んでいて、割れにくい『シャボン玉液』になっています。

 

 あっ。自然界に対しても優しい成分らしいですのでご安心を。

 

 此れが『100均』で売ってる子供向けオモチャなんですから。

 

霧鐘塔

 

 『霧鐘』とは、そもそも霧で視界が効かない時などに、船どうしの衝突を避ける為に自分の位置を他に知らせる目的で叩いて鳴らした『鐘」の事で、『マークトゥエイン』の小説(ハックルベリーだったかな)や『宝島』(ロバート・スティブンソン?)に登場します。

 

 『霧ヶ峰』等の場合は、登山者などが霧に包まれ方向を見失った時、『鐘』の音を聞いてその方角に進めば、命の危機から脱することが出来る様に鳴らされます。

 

 でも『スマホ』の『GPS機能』で誰もが自分の現在地を確認できる現代では余り活躍の場は無いのかも………まっ、バッテリー切れなど無きにしも非ずですので参考迄。

 

 

 他にも『美ケ原高原・美しの塔』や『志賀高原・山田峠』など人気観光地で在りながら、濃い霧の発生しやすい場所に設置されていますが、『恋人の聖地』宜しくガンガン鐘を鳴らしたり、中には誰かがぶら下がったのか、引き紐が切れていた場所も在ります。

 

 万が一の際、人命にかかわる場合もありますので大切にお願いします。

 

 もし濃霧に包まれたなら、焦って動き回らないで霧が晴れるまで座っているのが一番なんですけど。

 

 あっ私。鐘の音色を聞いてみたいので”必ず”鳴らします。

 

霧ヶ峰・滑空場

 

 『滑空場』って『グライダー専用滑走路』の事です。

 

 海外では『四輪駆動車』が牽引ワイヤーを引っ張る所も在りますが、此処『霧ヶ峰』では『エンジン式ウィンチ』で一気にワイヤーを捲き上げます。

 

 以前は週末ともなると『グライダー』や『ハンググライダー』『パラグライダー』などが何機も飛び交い、壮観な航空ショーを見せてくれましたが、事故が在って以来、めっきり少なくなってしまいました。平日ではほぼお目に掛かれません。

 

 

 私のお気に入りの『グライダー・ビューポイント』は『車山』から『霧ヶ峰』へ向かう十字路手前の駐車場。その東の端に陣取ると、頭の上を滑空場へ降りるグライダーが通り過ぎていきます。

 

 カメラを構えていると、車輪を出すタイミング迄バッチリ捉える事が出来たんですけど。

 

 

 『滑空場』越に『富士山』が見えています。

 

 こんな処を飛び廻れたらなぁ。

 

 

 『霧ヶ峰農場・直売所』は無料トイレを備えた大型駐車場が在り、ドライブインや売店・給油所も在り多くの車・バイクでごった返すので、余り近寄りたくないのだが、今回は『滑空場」や『グライダーふれあい館』を訪れてみようかと。

 

 因みに上の写真は『スキーリフト』と『霧鐘塔』です。

 

 リフトの夏季営業は無いみたい。

 

 まっ歩いて15分ですので健康の為歩きます。

 

 

 『霧ヶ峰』の名前の如く、一度霧が発生すると、方向は全く分からなくなります。

 

 現代っ子は『スマホ・GPS』で現在地を確認するなんて当たり前ですけど、一昔前は遭難の危険が在った為、『鐘』を鳴らして『霧鐘塔』の位置を知らせていました。

 

 どんなに霧が濃くても遊歩道さえ歩いていれば迷う事は無いんですけどね。

 

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ささやき神社

 

 『美ケ原・車山」登山の帰り(リフト利用です)に、『ダッタン蕎麦』を食べに『大門街道」を長和町に下って来ました。

 

 知る限り『ダッタン蕎麦』を食べられるのは『信濃霧山・ダッタン蕎麦レストラン・緑の花山館』のみです。

 

 黄色い色の『ダッタン蕎麦』は、長和町・霧山地区の蕎麦農家だけが栽培している固有種だそうです。

 

 時間が午後1時半だった事も在り、駐車場に車はゼロ。唯一入り口に『営業中』の看板が出ていたから入れましたけど、気が付かなきゃやってないのかとスルーしてたかも。

 

 偶に看板の仕舞忘れか、片付けるのがめんどくさくなったのか、『営業中』の看板が出っぱなしの『休業中』若しくは『閉店』の店があるからややこしい。

 

 で食事の後に向かったのが

 

 

 長野県下、至る所に『立ち寄り温泉施設』が在ります。

 

 特に『長門温泉』は大型駐車場を備えた『道の駅・レストラン・コンビニ・児童遊園地』が隣接し合っている為に『長距離トラック運転手』にも御用達の場所。

 

 お腹を満たしてひとっ風呂浴びて、beerでも飲んでひと眠り。夜間走行に備えるドライバーに人気だとか。

 

 ※決して飲酒運転はしないで下さい。アルコールチェッカーで安全確認の後運転して下さい。

 

 

 駐車場の一角に在るのが

 

 

 『ささやき神社』です。

 

 説明を読んでみると、昔この辺りは『笹藪』が一面に広がっており農業には適していませんでしたが、神様がやって来て『笹』を焼き払い、農耕地としたそうです。

 

 その時乗っていた『牛』が石になってしまい、神社脇の『牛石』になったとか。

 

 この『石』に願い事を囁くと叶うとか。(まぁ眉唾ですけど)

 

 『笹焼き』と『囁き』を掛けたと思うのは私だけ?

 

 普段神社に参拝しても『願掛け』はしない事にしています。

 

 が、昨今、新聞を読むと、如何に世界中にイザコザが多い事か。

 

 「世界中から紛争が無くなりますように」 最近は願掛けまくりです。

 

 日本の『神様』だけじゃ無くて、世界中の神様に頼まなければご利益無いのかも知れませんけど。

 

 『神様。お願いします』

 

 

古町豊受大神宮

 

 『西蓮寺』から流れ出る水は、すぐ北側の神社へと流れて行きます。

 

 神道ですから『太鼓橋』が架かっており、この橋を渡ると『神域』に足を踏み入れる事に成ります。

 

 稀に人が渡れない急斜面の『太鼓橋』を見掛けますが、神様のみが渡れる橋であり、人は迂回するようになっています。

 

 それでも『スニーカー』のゴムの進歩により、登れちゃうみたいですが。

 

 

 『豊受神社』の本社は『豊受大神宮(神宮外宮)』の事です。

 

 皇族が神宮詣での際にも必ず『外宮』から先に参拝します。

 

 『豊受大神』は、内宮の主神『天照大神』の食事を司る『御饌都神(みけつかみ)』として祀られています。

 

 一般には『五穀豊穣』を祈願して奉られる場合が多いみたいです。

 

 

 入口に『御札・御守り』の案内がでていました。

 

 因みに仏教に於いて、『写経』を納めたお礼に『寺院』が渡すのが『御朱印』

 

 それが『神仏混載』の折に『神社』でも『御朱印』が押されるようになりました。

 

 昨今は『御朱印』がブームで、何処の神社仏閣でも『御朱印』を領布していますが、『参拝記念』の名目で只集めるのが目的になっている人がかなりいるみたい。

 

 TVでどこそこの『御朱印』はこんな特徴で素晴らしいんです。とかの情報が流れると、翌日からは長蛇の列で人が並ぶそうです。

 

 しかも『御札』形式より、直筆で『御朱印帖』に書き込んでもらわないと気が済まないみたい。

 

 そんな人に限って『仏教』の宗派も、神社・仏閣の区別も付けないみたいです。

 

 貴方の『御朱印帖』は如何?

 

 

 『手水舎』の手前に『繁栄のシンボル』 奥には『安産』のシンボルが祀られています。

 

 

 拝殿は小さめながら『千木』と『鰹木』を備えた屋根を持っています。

 

 『鰹木』の数が多い程角が高い。

 

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長和町・西蓮寺

 

 『長和町』に在る『浄土宗・證誠山・善正院・西連寺』 (證は証の旧字体)

 

 『法然上人』開祖の『浄土宗』では、事ある毎に『南無阿弥陀仏』を唱えていれば、必ず『極楽浄土』へ行けるとされています。

 

 日々『南無阿弥陀仏』を唱える事が修行であり、必ず『仏様』が救済してくれる。

 

 『南無阿弥陀仏』の念仏を上手く言えなくても『ナンマンダ~』でも良いから常に唱えなさい。唱えれば唱える程『仏様』が天国へと導いてくれます。(私的解釈です)

 

 

 道路に陽炎が立つ初夏の午後。人通りどころか車さえ走っていません。

 

 

 『阿弥陀三尊立像』が在るみたいです。

 

 『善光寺』さんの御本尊『一光三尊阿弥陀如来』は絶対秘仏で観る事は出来ませんけど、『御開帳』や法要の際、緞帳があげられ『前立て三尊像』を拝むことが出来ます。

 

 さて『西連寺』さんの御本尊は如何に。

 

 

 手入れの行き届いた庭。『法然上人』の像が迎えてくれます。

 

 本堂で参拝………扉は施錠されていました。中は伺えませんでしたので御本尊は拝めませんでした。

 

 庫裏に人の気配があるので声を掛ければ拝めるのでしょうけど、『お賽銭』が『お布施』にグレードアップしそうなので今回はパスです。

 

 

 境内の一角に『天満宮』(神様)が繭られています。

 

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岩村田・西宮神社

 

 『西宮神社』と聞くと正月十日の『福男選び』がニュースで大々的に報道されますが、元々は一般者立ち入り禁止の神事『十日えびす』(正月十日午前4時~)の後、午前六時に入り口の門が開かれます。と同時に拝殿目指して大勢が走り出し、早ければ早い程『福』が多いとされました。しかし何時からか誰が一番早く拝殿に辿り着くかの『スプリントレース』になってしまい、TV中継車迄スタンバイする始末。昨今は参加者の増加に伴い、出走エリアのくじ引きが行われ、グループ分けされてしまいます。如何に足が速かろうと前のグループでなければ『福男』にはなれません。

 

 と此れが『西宮神社』について、多くの人が知っている事項でしょうが本当は『えびす様』をお祀りしており、この神社に参拝する為の『講』が『えびす講』です。

 

 『えびす様』の祭日には境内に多くの店が軒を連ね、買い物客でごった返した状況にあやかり、各地の商店街が『えびす講大売出し』とか『えびす講花火大会』を催しました。

 

 丁度農家が収穫を終え、懐具合が温かい時。冬物や正月用品の買い出しにお金が動く時でも在りました。

 

 今では『月給』を貰える人が大半ですから、何もこの時期に『えびす講大売出し』しなくても欲しい物が簡単に手に入る時代。しかも『ネット注文』したら翌日には配達される時代です。便利過ぎて………

 

 『さだまさし』さんの歌「関白失脚』の中に「それからアレだぞ テレホンショッピング 買い物くらい 体動かせ」を思い出してしまいます。

 

 

 此方が『岩村田・相生町』の『西宮神社』

 

 鳥居が真っ新なのは、道路拡張に伴い移転の際に新調したから。

 

 

 参拝後に建屋の中を覗いますと。かなり古い歴史が在りそう。

 

 残念ながら詳しい説明等が無かったので正確な事は分かりません。

 

 

 脇に並んだ『夫婦道祖神』など。

 

 何だか『男性崇拝』のシンボルに見えるのは………

 

岩村田宿

 

 『旧中仙道』に於いて最大の人口だったとされる宿場が『岩村田宿』です。

 

 『本陣』は勿論、多数の『宿屋』や『造り酒屋』、『遊郭』が在ったり、『博徒』が集まる賭場が在ったり。

 

 そんな栄華を誇った『岩村田』ですが、昨今、佐久市の商業の中心は『佐久平駅周辺』に集まってしまって、昔ながらの商店街は存続の危機に立たされています。

 

 それでも『佐久』の官公庁(警察署・裁判所・地方検事局・税務署など)や幾つかの『高校』は『岩村田』に在りますので、そこそこに人は集まります。

 

 そう云えば『岩村田駅』って、子供の頃、〇〇高校の文化祭に行く為に一度だけ降りた事が在るのですが、それ以外に利用した事無い⁈

 

 

 昔からこんな感じだったかな。跨線橋はSL時代の煤けた感じが残っていますし。

 

 駅前とくれば『観光案内図』 知らない街の『駅前観光案内図』って大好きなんです。

 

 

 『岩村田』は何度も訪れていますのでほぼ行き尽くした感じも在りますが。

 

 

 フラフラと歩いていて見つけた『佐久酒造組合』の中に在る鳥居。

 

 『酒』とくれば『松尾大社』かな。事務所らしい建物に行って許可を貰いまして参拝。

 

 

 塀の外からは見えませんでしたけど、コンクリートの建物の中に社殿が祀られています。

 

 扁額の文字は『松尾大社』

 

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姉妹都市方位石

 

 佐久市内にも『ラウンドバウト(環状交差点)』が出来ました。

 

 場所は『野沢小学校』と『野沢南高校』の間、『野沢保育園』の前です。

 

 『ラウンドバウト』は『パリ・エトワール広場(凱旋門)』でおなじみの交差方式で、『環状交差点内』を走行する車が優先。進入する車は交差点内を走る車を妨害してはいけません。 

 

 対する『ロータリー式交差点』は、『交差点内』に進入する車両が優先。

 

 尤も日本ではあまりなじみが無く、お互いが譲り合う事で事故は少ないみたいです。

 

 此れが慣れてくると「俺の方が優先だ!」と主張し合って事故に繋がるのかもしれませんけど。

 

 

 その『ラウンドバウト』の中心に何やら在るのですが、いつもは通過する場所ですのでわざわざ観る事も無かったのですが。

 

 

 プレートの丸印の場所が『北緯・東経』の地点なのか解りませんが、(そっかスマホのGPS機能で測定すれば良いのか。又今度ね)、姉妹都市の『モンゴル・ウランバートル』『エストニア・サク』『フランス・アバロン』迄の距離と方向が示されています。

 

 ついでに『北極点』が示されて要れば分かり易いのに………

 

 『姉妹都市』とは友好関係を宣言し合った都市同士の事で、『交換学生』などを通じて『文化交流』や『親善交流』を図る制度です。

 

 『兄弟関係』と云うとアンダーグラウンドの世界みたいですからやっぱり『姉妹都市』がふさわしいですね。

 

 『エストニア・サク』と『佐久市』は同じ発音だからで、『サク』から語学教師として『〇〇先生』(名前が思い出せない………綺麗な女性でした)が佐久に派遣されていました。って事は『佐久』からも『サク』に言っている人が居る?

 

 この制度、私がもっと若けりゃ立候補してるのに。

 

 

大山祇神社

 

 『祇園』の『祇』一文字で『ズミ』と読みます。

 

 で『大山祇神社=おおやまずみ神社』

 

 『大沢新田』から『美笹』に向かう途中に在る神社です。

 

 

 総本社は『愛媛県・今治市・大三島』 しまなみ海道の開通により車で訪れる事が出来るようになりました。

 

 『大山積神』は古事記によると『天照大神』の兄の神様とされています。

 

 『山』『海』『水』の守り神ともされていますもで、自然を相手にする人にとって無くてはならない存在です。

 

 多くは山の中に在って『森林』を病害虫や火災から護る為に祭事が行われます。

 

 又、沢の近くに在って、水枯れの無い様に願掛けする人も居ます。

 

 

 参道はこれ。『メイちゃん』が『ト〇ロ』に出会いそうな草のトンネルです。

 

 

 小さな社と雨除け。余り人が来ないのかな

 

 

 隣に建っている板の間の壁に、寄付者の芳名板が在りますが、落書き………

 

 まっ何処にでも悪ガキってのは居るもんで。

 

 外で遊ぶ子供が少ないこの頃では貴重な存在かも知れません。

 

原のお宮

 

 『諏訪神社』なんですけど、敷地内に『公会堂』や児童遊園地が在ります。

 

 地区の『氏神様』として『初詣』に始まり、四季折々の『祭事』の他、『子供相撲』や『どんど焼き』なども行われ、地域に無くてはならない場所です。

 

 鳥居の前に金属製の『幟立て』が立っています。以前は祭事の度に消防団総出で重くて長い木の柱を立てたものです。

 

 

 参道の右手には古めかしい『社務所』が建っています。

 

 この建物を始め、旧小学校講堂・前消防ポンプ車などを寄贈してくれた方が『中島新吉』(故人)さん。この方『北海道・昭和新山』を購入したりして莫大な財を築きましたが、一代で全て使い切ったという立志伝の持ち主です。千曲川沿いの『中島公園』は此の方の自宅の庭を市に寄贈して公園にした物です。社務所の中にシルクハットをかぶった写真が掲げられています。

 

 

 参道を進み、拝殿で参拝。この建物は数年前の台風で一部が損壊した為、屋根を含めて修復されました。

 

 左奥に見えるのが『郷蔵』で、以前は地域の『防災備蓄庫』としての役割をしていましたが、現在は物置や『祭り屋台』が仕舞われています。

 

 

 児童公園の端に幾つも『摂社』が並んでいますが何の神様だろう?

 

 その前の『ブランコ』等の遊具もペンキこそ塗り直されていますが、私が子供の頃には遊んだ記憶が………何年前のだろう。

 

 他にも『奉納子供相撲』の土俵があったり、『どんど焼き』『餅つき』『夏祭り』などなど地区の催しに欠かせません。

 

 洋間・和室を含め『公会堂』が在り、地区総会や折々の集まり事に使われますし、クラブ活動などの集会に勝島されています。

 

 投票所としても認定されていますので事ある毎に人が集まります。

 

 

 『かくれんぼ』などをして遊んだ境内ですが『欅の大木』の老朽化が進み、時折風の強い日など枝が落ちています。

 

 事故が無い様に『諏訪様』にお願いしておきますか。

 

慈風庵と美楽育円

 

 私、普段は食に関する評価はしない主義です。

 

 『〇シュランガイド』は、覆面捜査員が同じ判定基準で全ての店を廻った上での評価ならば許せますが、四季折々素材条件や、捜査員の満腹状態も異なるのにこの店は美味しいから星三つなどと批評し、其の挙句で来客数や利益まで左右してしまうのはどうなんだろ? 元々は『タイヤ会社』が車で遠出して貰う為の手段としてガイドブックを発行した筈。星の数でランク付けするのは如何なものだろう。しかも内容を鵜呑みにしてあそこの店は一つ星だから………なんて批評する輩まで居る始末。

 

 『食べ〇グ』などのSNS系の評価にしても、如何に自分の評価が正しいと主張する人間が多い事か。若しくは何でもかんでも満点評価を付ける人や、味以外の評価、チェーンの牛丼屋にまで評価付けてどうすんの。

 

 なので、私の投稿は常に『可も無し不可も無し』(グーグルマップで星三つ)とさせて頂いています。

 

 そんな中、今年に入って訪れた二軒のお店に関して、もっと多くの人に知って貰いたい思いで、敢えて此処に掲載します。

 

 一軒は『慈風庵』

 

 

 普通の定食屋さんなのですが、場所がわかりづらい所に在りカーナビなしでは辿り着けないかもしれません。

 

 

 流行りの『古民家風』どころか、普通の民家。

 

 メニューの品数も多くは在りませんが応援したいお店です。

 

 

 ホントに普通の定食ですし、素材等に特に趣向を凝らしている様でもありません。

 

 でも落ち着ける場所です。

 

 もう一つは『実楽育円・みらいえ』

 

 

 メニューは『ソーキそば』のみ。セットはおにぎりが付きます。

 

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高峰

 

 『浅間六連山』のひとつ『たかみね』と読みます。

 

 小学生でも登れる山で、地元小学校の遠足で登ります。

 

 『高峰チェリーパークライン』を登り詰めると『車坂峠』

 

 眺望の開けた峠下の展望台から眺める景色は素晴らしく、春先の霧の多い時期には雲海の向こうに『富士山』や『八ヶ岳』を望むことが出来ます。

 

 『高峰高原ホテル』では立ち寄り入浴も出来ます。此処の温泉は自噴では無く、『布引温泉』の湯をタンクローリーで運び上げています。

 

 佐久から見ると『車坂峠』に煌々とした明かりが見えますが、このホテルの明かりです。

 

 ホテルでは温泉の他、売店やレストランも利用できます。テーブルに置かれた双眼鏡で『アルプス』なんぞを眺めていたらあっという間に時間が過ぎてしまいます。

 

 『高峰高原ホテル』の駐車場脇から『高峰山』への登山道が在るのですが、今回は『高峰温泉口』から登ってみますか。

 

 『高峰高原』には『ビジターセター』が在り、『浅間連山』に関する登山の相談に乗ってくれまし、広い無料駐車場も在りますから使わない手は無いです。

 

 しかも『新宿高速バスターミナル(通称バスタ)』から直通のJRバスが往復していますので、関東からのアクセスもバッチリ。

 

 料金も格安なのですが、繁忙期は予約しないと乗れません。

 

 

 この登り口は『ランプの宿・高峰温泉』から歩いて5分。温泉の駐車場を利用できますが、一声かけて許可を貰うのが良識ある大人。更にはジュースの一本も買うのが良識ある行動でしょうか。

 

 

 此処で『高峰高原ホテル』からの登山道と『高峰温泉』からの登山道が合流します。

 

 距離的には大した事無いのに日頃の運動不足がたたって………

 

 若い頃は標準時間を切る事を目標に歩いてましたが、今では1.5倍が目標です。

 

 

 稜線にはこんな素敵な樹。芸術ですね。

 

 それだけ強風が吹き抜ける場所でしょうか。

 

 

 山頂に近づくと大きな岩が待ち構えています。

 

 樹木が多く、岩山のイメージがないので『海底隆起』では無く火山性の堆積でしょうか。

 

 詳しい方一報願います。

 

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大谷不動

 

 『黒門』駐車場から一時間強のプチ山歩きの末、ようやく奥之院に到着です。

 

 実は訪れる一週間程前に、『お不動様』を『里宮』から『奥之院』へと移す『御山上り』が行われたみたいです。

 

 当番祭事や厄年の者が背負って山道を担ぎ上げます。

 

 その為参道は雑草が刈られたり、整備されていたのでしょう。

 

 『根子岳』から須坂に延びる山稜を境に、『米子不動』と『大谷不動』の二つの『御堂』が山深い山中に在り、修験者の『滝行』が行われた『滝』が『米子瀑布・不動滝・権現の滝』と『大谷・一の滝』です。

 

 

 御堂迄あと0.2kmの表示に『ロットの滝0.3km』と書かれていました。

 

 先にお不動様に参拝して、余力が残っていたら訪ねてみましょうね。 と自分に弁解して先を急ぎます。

 

 

 こんな山の中に立派な御堂です。

 

 しかも雑草などもしっかり除去されています。

 

 それも其の筈、途中から林道が通じていて車の轍が残っていました。

 

 『御山上り』の為に、大変な苦労をされたのでしょう。

 

 

 『サッシ』は防虫・防獣の為に致し方ないですが、写真を撮る時は反射が………

 

 

 イマイチ『お不動様』が不鮮明になってしまいました。

 

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大谷不動・黒門

 

 メジャーリーグで活躍中の選手を応援する意味も在って『大谷不動』を訪れました。

 

 場所は『須坂市・仁礼』から『峰の原』へ向かう道の途中から山の中へと入った場所。

 

 此の道は『宇原川』沿いに在り、別名を『鮎川』とも呼ばれる位ですからかなりの魚が捕れたのかな。

 

 途中から分岐した山道に進むと、江戸時代。『善光寺詣で』や物流街道として使われた『大笹街道』です。

 

 関所も無い『脇海道』ながら、『信州須坂』と『上州嬬恋』を最短で結ぶ為に多くの人がこの峠道を歩いた事でしょう。

 

 その『大笹街道』から更に山の中に進むと在るのが『大谷不動』

 

 先ずは車で『黒門』まで進みます。

 

 

 駐車場の脇に立つ案内図。なんだ結構近いじゃん。

 

 

 更に『大谷不動』の説明と大まかな案内図。

 

 『高山植物』などが分布する所を見ると、そこそこ登るのだろうか。

 

 

 こんな山の中に立派な『黒門』が在ります。『大谷不動』の門です。

 

 

 『大谷不動』は『お不動様』を祀る奥之院。

 

 修験道者が『禊』をした『滝』が近くに在ります。

 

 参道ですので一礼して門を潜ります。

 

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邑守神社

 

 『邑』と書いて何と読むか知ってます?

 

 群馬県には『邑楽(おうら)郡』という地名が在りますし、人名では『中邑(なかむら)』という名字が在ります。

 

 神社・鳥居の扁額に『邑守神社』と在るのですが、読み方が解らない………

 

 

 鳥居の脇に解説が出ていました。

 

 

 なるほど。『むらもり神社』と読むのか。

 

 でも文中の『………社号を授ける』って『授かる』の間違いじゃない?(文法上)

 

 元々は『諏訪神社』だった処に『産土神』を祀ったのですが、普段はその名前で呼ばれているみたいです。

 

 摂社として『秋葉山大権現』と『高尾山穂見神社』の二つが祀られているとか。

 

 

 神社には『社格』が存在し、この神社は『村社』の扱い。(テンハ ヒトノウエ二 ヒトヲ………神様はいいのか?)

 

 

 拝殿にて参拝。 『鏡如神』って? ググってみました。

 

 『神は心の鏡の如し』ですと。 続く言葉が『ご利益信仰の中に神は存在せず』

 

 初詣などで「今年は儲かります様に」なんて願を掛けても、そこに神の力は働かないよ。って事でしょうか。

 

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岩船地蔵

 

 『菅平』から『須坂市内』へ向かう国道406号線。鉄分で真っ赤な川床の『米子川』の橋の手前にあるお地蔵様が『岩船神社』

 

 道が少しカーブする所でも在り、しげしげと見た事無かったですが、今回は神社の駐車場に車を停めまして。

 

 

 御供え物が新しいので頻繁に手入れされているのでしょう。

 

 私の考えですが、訪れないのなら『御供え物』はしなくても良いのでは?

 

 『御供え物』が綺麗なうちは良いですけど、傷んだり枯れたりする物はその内汚らしくなります。又食べられる物などは動物や鳥の格好の餌食になります。

 

 開封していない『ワンカップ』や『ジュース』なども、その後誰かが飲む訳でも無くゴミとして処分されます。

 

 片付ける側から云わせてもらえば、昨今のゴミ分別事情からも煩わしい事この上ないです。

 

 頻繁に訪れて前の御供え物等を片付けるのなら話は別です。 

 

 

 なるほど。石船に乗っています。

 

 『鬼瓦』は以前の御堂に使われていた物でしょうか。

 

 

 子供の病気に霊験あらたかとか。

 

 風邪をひいたら『煎り豆』を御供えすれば効果てきめん(かも)

 

立石公園

 

 某アニメ映画『〇の名は』で、隕石により造られた湖が描かれていますが、そのシーンのモデルとなったのが『立石公園』から俯瞰する『諏訪湖』とされています。

 

 『諏訪湖』は『フォッサマグナ』の西端に位置し、活断層のズレから出来たとされています。水深が浅いから(最大深度7m)堰止湖と思っていましたけど違いました。

 

 『葛飾北斎』の『富岳三十六景』にも描かれる程(版画ですけど)風光明媚な湖ですが、『農薬』や『生活排水』流入のお陰で汚染(富栄養化)が進み水質は悪化、『アオコ』の発生や、水生植物の『ヒシ』の大量発生にも繋がっています。

 

 『天竜川』の起点ともなっている『諏訪湖』ですが、流出するのは『天竜川』のみ。沢山の流入水路が在るのにね。

 

 流れ下る『天竜川』は幾つものダム湖を造り、発電の恩恵を与えてくれています。

 

 『諏訪湖・釜口水門』から流れ出る『天竜川』にほぼ沿って走る『JR飯田線』は、『長野県・辰野駅』と『愛知県・豊橋駅』を 結ぶ総沿線距離200km程の区間なのですが、駅の数が約100駅。単純計算で駅間平均2kmとなります。駅を出発したらもう次の駅的な感覚。一周34.5kmの中に30駅を有する山手線よりはマシ?そんなこんなで6時間近くを座りっぱなし。(酒飲んで寝てましたけど) 湿布薬は必需かも。

 

 船下りで有名な『天竜峡駅』を過ぎた辺りから様子は一変します。山の中や川沿いをクネクネ・ノロノロと進みます。

 

 駅は在るけど集落は何処? みたいな処を幾つも過ぎ、当然のごとく売店も無ければ駅弁なんて物も売っていません。(唯一『平岡駅』が例外です)

 

 こんな『酷鉄』ですけど一度は体験してみません?

 

 

 『立石公園』

 

 

 駐車場脇の展望が此方。

 

 

 う~ん。例の映画の面影が無くも無いか。

 

 平日のお昼過ぎ。駐車場も空きは僅か。他に駅からタクシーで来る人も居て思ったより混んでいました。

 

 芝生に座って『お茶とおにぎり』と思ったのですが、諦めて展望台を目指します。

 

 

 この展望台。寄贈したのは『諏訪精工舎』 そう『セイコー時計』です。

 

 だから展望台は

 

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甲州街道・終点

 

 『諏訪大社・下社』の鳥居、実は『甲州街道』に建っているって知っていました?

 

 『甲州街道』とは江戸時代、『四代将軍・徳川家綱』の頃整定された五街道のひとつです。

 

 『三代将軍・家綱』が定めた『参勤交代』や、物流(飛脚・早馬)の為、『江戸』を中心とした『主要五街道(東海道・中仙道・甲州街道・日光街道・奥州街道)』を特に整備されました。

 

 人や物が移動する為の道=『街道』は現在の様に舗装されている訳でも無く、雨が降ればぬかるんで歩行困難になったり、橋の無い川では『川止め』で渡れなかったり。

 

 人の滅多に通らない様な山を抜ける街道では、『山賊』などが出たりして、命の保証も無かったとか。

 

 又、人や御禁制を監視する為の『関所』が主要地点に置かれ、『出女・入り鉄砲』などに目を光らせていました。

 

 

 『石標』をよく見てみると『右 江戸へ五十三里十一丁。左 江戸より五十五里七丁・京都へ七十七里三丁』と掘られています。

 

 『諏訪大社』鳥居の脇を抜け、『諏訪湖東岸』から『釜無川』沿いに南下し、『笹子峠』からは『笹子川』に沿って『大月』へ。『笹子川』は『都留』方面から流れて来る『桂川』に合流し『相模湖」へと続き『相模川』と名前を替えます。『大垂水峠』の難所を超えて『八王子』『府中』と続き『日本橋』の『道路起点』までが『甲州街道』です。

 

 

 『諏訪宿』は『中仙道宿場町』でも在りますので、此の場所が『中仙道』と『甲州街道』の合流地点。

 

 『諏訪温泉街』のど真ん中に在り、『諏訪大社』にも近い為、かなり賑わったそうです。 人が集まりますから『酒蔵』が発達したり、『寺社奉行』の治外法権を利用した『博打』なども盛んに行われ、その手の人間も集まったそうです。その為『諏訪宿』では、治安の為の『番所』や、24時間見回りの為の『詰め所』が置かれました。

 

 

 

 案内図を見ていたら面白い物を見つけました。すぐ近くなので行ってみよう。

 

 

 『秋宮スケートリンク』 『日本フィギュアスケート発祥の地』ですと。

 

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銭神社

 

 お金にまつわる名前の付いた神社って結構在るの知ってます?

 

 『金神社』は『岐阜県・岐阜市」、『黄金神社』は『岐阜県・高山』や『宮城県・石巻に在りますし、『金持神社』は『鳥取県・日野町』

 

 そして諏訪の地に在るのが『銭神社』 小さな祠ですけど。

 

 

 『諏訪・慈雲寺』脇から霊園や焼却施設の脇を抜け、『御射山社』~『いずみこ湖公園』、『蓼の海』(四股名じゃ無いです。在りそうだけど)、県道に出て『霧ヶ峰』へ向かう途中に在ります。

 

 クネクネした一車線の舗装林道を登りますが対向車等皆無。

 

 今回はバイクで走りましたが、昨今は車に向かって来る『熊』も居るそうですから注意するに越した事ないです。

 

 

 駐車スペースには句碑が立っており、『穂すすきに 諏訪の湖から 来る風か』

 

 『一茶』の句でした。でも『清水哲』って誰だろう?(’野球の?)

 

 

 エンジンを切ると、辺りは静寂に包まれ『ウグイス』の鳴き声が聞こえます。

 

 数段の石段を登ると鳥居。参道を進むと

 

 

 樹の間に涼風が吹き抜けます。

 

 諏訪湖を渡った風が山肌を駆け上って来るかのよう。

 

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諏訪御柱・下社棚木場

 

 『御柱』とは『諏訪大社』の四方に建てられる『丸太の柱』で、七年に一度新調されます。

 

 『諏訪大社下社』は『春宮・秋宮』、『諏訪大社上社』には『前宮・本宮』の併せて四つの神社に建てる、太くて長くて真っ直ぐな『もみの木=柱』(4×4=16本)が必要になります。

 

 樹齢150年を超すとされる『もみの木』は『諏訪大社所有林』から伐り出されます。

 

 『山出し』と云われ、山中深く迄入るそうですが、伐り出した木の運搬が大変だそうです。基本、全て人力。コロナ過では機械なども使われたそうですが。

 

 伐り出された木を『神木』として置いて置く処が『棚木場』です。

 

 『諏訪大社・下社』の『棚木場』を訪れたのは5月中旬のカンカン照りの日でした。

 

 

 現在は舗装された道路の上を、縄を括り付けた『御柱』が曳行されますが、昔は道幅の狭い『山道』を曳いたそうです。

 

 

 里に下りる前の『斧立て神社』で『斧』が入れられ『御柱』になります。

 

 

 『里引き』 現在は舗装路を引き刷られる事で『樹皮』が剥げ落ちますが、この『樹皮』を縁起物とし、こぞって拾うそうです。

 

 『木落し坂』まで『里引き』された『御柱』は『木落し坂上』の『神域』に安置され『木落し』を待ちます。

 

 『御柱』の最高潮『木落し』ばかりが祭りの様に扱われますが、坂を下った後も『春宮・秋宮』に向けて道路を曳かれ、クライマックスの『建て御柱』を迎えます。

 

 有料桟敷やけが人続出のニュース等で『木落し』ばかりがクローズアップされますが、それに至るまでの多大な労力に只々感心するばかり。

 

 良いじゃ無いですか『チェーンソー』や『重機』を使ったって。

 

 多少の事には目をつぶってくれますよ。寛大な『諏訪様』ですから。

 

 

 木陰の中を流れる涼やかな流れに、暫し見とれていました。

 

 夏が来るぜぃ。

 

米守神社

 

 鳥居を潜って参道を進むと『米守神社』の境内に着きます。

 

 案内図に在った『神田』が在り、苗が用意されていました。

 

 多分、若い女性が手で植える『早乙女』が観られるんじゃないかと期待。(現実は………?)

 

 

 コンクリート桝なのがチョット………なんて云いません。

 

 存続が大事なんです。良いじゃ無いですかオッサンが植えても。

 

 

 石垣や石段の風化具合からもかなり歴史が在りそうです。

 

 神社の名前が『米守神社』ですから、江戸時代の『年貢制度』の頃から崇拝されていたのかもしれません。

 

 

 参拝を終え、中を覗いますと真新しい『御幣』が用意されています。

 

 もうじき田植えの神事が執り行われるのでしょう。

 

 

 詳しくはピッチアウトで読んで下さい。

 

 『水の里』と在る様に『萩倉』は山間を急流で流れる清水の為、田んぼに引き込む水も冷たく、決して優良な『田圃』であると云えません。

 

 少しでも多くの『米』はが採れるようにと『米守様』を祀ったのが始まりです。

 

 私たちが見る『田圃』は、『農業用水』が張り巡らされ、重機による『耕地改革』のお陰で『田植え機&コンバイン』など機械化農業が当たり前です。

 

 それ以前の『田んぼ』は曲がりくねった『畔』や『機械』の入る道路も無いような処も少なく無かった筈。

 

 条件の悪い場所でも何とか工夫して米造りをしていたであろう事が伺えます。

 

 『春祭り』では『虫』などの被害に逢わない様に『虫追い祭』、日照りが続くと『雨乞い』、秋になって沢山の米が採れると『収穫祭』で神様に感謝を捧げた事でしょう。

 

 各地に観られる『稲荷神社』の『お稲荷様』も『五穀豊穣の神様』です。

 

 決して『キツネ』の神様じゃありませんからね。(神使がキツネです)

 

 『仏教』の『ウケノミタマノカミ』と同一になり、やはり『五穀豊穣・商売繁盛』のご利益が有るとされています。

 

 『日本三大稲荷』とされる『京都・伏見稲荷』『佐賀県祐徳稲荷』とは『神社』ですが、『愛知・豊川稲荷』は『寺院』です。

 

 一説には『佐久・鼻顔稲荷神社』が『日本七大稲荷』に含まれるそうです。

 

 『商売繁盛』を願って参拝に行ってこようかな。

 

萩倉

 

 『木落し坂』から更に道を登って行きます。

 

 『萩倉集落』の一角に『水車小屋』のを発見。

 

 消防団詰め所が在ったり、公会所が在る所を見ると集落の基幹みたいです。

 

 

 『ロマンのまち』 ゆっくり散策してみようかな。

 

 にしてもグングン上昇する気温に辟易。水~。

 

 

 自販機を探していたのですが見当たりません。

 

 公会場が在るならば『水道』は使えるかも。

 

 鳥居を潜って石段を登ります。

 

 

 公会所のすぐ脇に御堂が建っています。

 

 と云うより『神社仏閣』の敷地に公会所を建てたみたい。

 

 

 扁額には『醫王閣』と書かれています。

 

 『醫』は『医』の旧漢字です。

 

 『医王如来』は『薬師如来』と同意ですので、医療の無い時代、病気治癒を願って人々が願掛けしたのでしょうか。

 

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諏訪大社・下社・木落坂

 

 『諏訪大社』に『下社』と『上社』があるのはご存じでしょうか。

 

 『諏訪大社』に祀られる『諏訪様』とは夫婦・二柱の神様で『下社=八坂刀売命(ヤサカトメノミコト)』は奥さん。 『上社=建御名方命(タケミナカタノミコト)』は旦那さんを祀っています。(別居中?)

 

 尤も『上社』の境内に『建御名方命』が摂社として祀られていますし、『下社』に『八坂刀売命』が祀られています。

 

 此の『建御名方命』は『出雲大社』に祀られる『大国主命』と『糸魚川・奴奈川姫』との間に生まれた子供で、『邇邇芸命』が天孫降臨の際、天の神が使者として送り込んだ『建御雷神(タケミカヅチノカミ)』と力比べをして負けてしまい『出雲』を離れ『諏訪の地』に移ったとされています。

 

 厳冬期に諏訪湖が全面凍結し、盛り上がって氷に割れ目ができると『御神渡り』と称します。『諏訪上社』から『諏訪下社』の奥さんの元に『建御名方命』が逢いに行った証だそうです。

 

 昨今、暖冬傾向で『御神渡り』が出来なく無くなりましたが………(まぁそこは神様ですから空も飛べるしワープも出来るって事で)

 

 因みに『下社』には『春宮』と『秋宮』が在りますが共に『諏訪市』 『上社』の『前宮』は『茅野市』 『本宮』は『諏訪市』になります。

 

 此の為『木落坂』も『諏訪市』と『茅野市』の二か所存在します。

 

 『御柱』にも特徴があり『下社御柱』は丸太のままですが、『上社御柱』は『メドデコ』と呼ばれる『柱』を二本角状に取りつけます。坂を下り『川渡り』をするのも『上社御柱』だけです。

 

 で今回は『下社・木落坂』です。

 

 

 国道142号線はバイパスされ『木落坂トンネル』を走行するようになってしまいましたが、『砥川』沿いの旧道を走ると『下社木落坂』の裾を走る事が出来ます。

 

 良く手入れされた斜面の上にひょこっと見える横たわった丸太がこの『御柱』です。

 

 

 七年に一度の奇祭『諏訪・御柱』本番では、この石垣の『松』に綱を結び付けて斜面にせり出させます。『華乗り』と呼ばれる大勢の氏子が御柱に跨り『木遣り』が披露されると『追掛斧係・おいかけ』が『斧』で綱を切ると同時に大勢の氏子が御柱に取りつけられた太い引き綱を引っ張り『御柱』は勢いよく坂を滑って行きます。

 

 決して安全が保障された行為では無い為、時には死者も出てしまいました。

 

 

 古い石碑なども建っていますが、高圧電線がチョット無粋。

 

 

 前回こそ『新型コロナ』での影響を受け、『七年目』では在りませんでしたが、無事翌年に『御柱』が執り行われました。

 

 一生に一度は観てみたい神事です。

 

星ヶ塔遺跡

 

 『新和田トンネル』の西側出口を出て直ぐの場所に、チェーン着脱所が在り、其処から100m程下った処に林道入り口が在るんですけど知ってる人は少ないだろうなぁ。

 

 『星糞峠』から『和田峠』の在る辺りは『黒曜石』の一大産地が在り、周囲からは沢山の遺跡が見つかっています。

 

 人の生活に必要な物のひとつ『水』 石器時代に水道は在りませんから『川』って事に成りますが、飲料水としての『川』と狩猟出来る『猟場』、更には豊富な木の実などが在ったからこの地に人が住みついたのでしょう。

 

 で林道に入りますと………

  

 

 100mも走らない場所に頑丈なゲートが。

 

 林道によくある『チェーンバリア』じゃ無くて『絶対通さない!』的な威圧を感じます。

 

 この『鉄柵』 野生動物の進入阻止じゃ無く、人間の『進入禁止』の為らしい。

 

 『道路崩落有り』とか『熊出没注意』だけでは無く、『盗掘防止』の為みたい。

 

 

 轍がしっかり残っているから、頻繁に人が出入りしているみたいだけれど。

 

 

 『一般車』の場合は歩いて通行可の場合が多いのですが、『一般通行止め』と書かれちゃうとどうしようもないです。

 

 学術調査などの名目が在り、森林管理組合まで行けるなら或いはですけど、其処迄する気にはなれません。

 

 行ってみたら森林組合が伐採した『禿山』が辺り一面に広がっていたなんてイヤだもんね。

 

 『メガソーラー』を目的とした伐採なのか、伐採跡地の利用が『メガソーラー』なのか解りませんが、物凄く大きな『利権』がそこに渦巻いているようで………

 

 折角の『星ヶ塔遺跡』ですけど諦めますか。

 

亀倉神社

 

 『米子』から下って来ると神社の鳥居が見えます。

 

 『………?』 扁額の文字が読めない。 そんな時はグーグルマップで現在地を確認。

 

 『亀倉神社』ですと。

 

 『仁礼』の五差路の辺り。神社仏閣が多い事からも古くから中心的な場所だったと思われます。

 

 『米子川』の峡谷と『仙仁川』の間に在る高台は案の定『城跡』が在るみたいです。

 

 その名も『亀倉城』 きっとこの辺りを納めていた豪族なのでしょう。

 

 

 祭神は『山の神』 『米子鉱山跡』に在ったのは奥之院かな。

 

 

 周囲を過ぎの古木に囲まれ驚く程静かな空間です。

 

 五穀豊穣を感謝して『秋祭り』には人が集まったんだろうなぁ。

 

 

 『秋葉様』は火除けの神様。

 

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仁礼小学校・米子分校

 

 『米子鉱山』には小学校も存在しました。

 

 尤も。日本の義務教育法。

 

 『全ての国民は、法律の定めによりほごする子女に普通教育を受けさせる義務を負う。

 

  義務教育は此れを無償とする。

 

  保護者は子女を満6歳から12歳まで小学校に、終了後から満15歳まで中学校に就学させ         る義務を負う。

 

 市町村は必要な小学校・中学校を設置しなければならない。』

 

 と定義されています。

 

 故に『二十四の瞳』の島の小学校やら『米子鉱山分校』などの様な場所にも学校が存在しました。

 

 現在、『米子分校跡』には校庭の跡地と、校舎に入る為の石段数段が残っているだけです。

 

 

 校舎が建っていた場所近くに大きな『岩』が在ります。

 

 石碑が立っているのですが文字が読めません。

 

 

 こんな『岩』も在ったり。

 

 『竃門炭治郎』が呼吸法を鍛錬してたりして。

 

 

 校舎の窓から見える景色が此れですよ。

 

 心 清らかな子供が育まれたことでしょう。

 

山の神

 

 『米子鉱山』の開発は古く、ナント寛永年間(1624年)には採掘の記録が在るそうです。主に採掘されたのは『硫黄』で、火薬材料に使われました。

 

 昭和初期の戦時需要の拡大で大規模な採掘がなされましたが、戦争の終結以降は農業用肥料などに需要が見込まれ、『養蚕』が下火になった近隣から移り住む者の為に『町』が形成されました。

 

 『宿舎』を始め『共同浴場』や『売店』『診療所』や『小学校』も在ったそうです。

 

 今は広々とした『宿舎跡地』と『小学校跡地』が残されているだけです。

 

 『ベンチ』すら無い広場ですが、此処から『根子岳』~『四阿山・あづまさん』へ向かう登山口が在ります。故に『トイレ』が設置されています。

 

 

 登山口の手前に鳥居が見えました。

 

 扁額には『山の神』と在ります。

 

 一礼して鳥居を潜り、参拝………

 

 

 『賽銭箱』が見慣れたアレの形をしています。その名も『賽銭棒』

 

 『子孫繁栄』の為のモノでは無く、恐らく『山の神(女)』に喜んで貰う為です。

 

 『山』には『男の山』と『女の山』が在ると云われています。

 

 『男の山』は修験道などの修行に使われる、荒々しい登山困難な山が多く『〇〇嶽』『〇〇岳』などと表記される場合が多いみたいです。

 

 『〇〇山』などと呼ばれる山は『女の山』の場合が多く、山に登る際、天候が崩れそうな時など、山頂に向かって『立ち〇ョン』すると喜んで晴れにしてくれると云われています。(男の山に登る時は山に向かってしちゃダメ)

 

 

 何時の時代の物か、どの山の物か、一切説明等は在りませんでした。

 

 『米子瀑布』の『不動滝』は『根子岳』の沢に端を発します。『四阿山』から流れ出した沢は『米子川』となって『権現滝』を流れ落ち、『米子不動・奥之院』参道(登山道)沿いに様々な造形美の滝を造り出しています。

 

 そしてもう一つ。『群馬県・嬬恋村』の『パルコール嬬恋スキー場』の山頂駅直下から流れ下る沢は『米子鉱山跡』東側の絶壁の裏側を辿り『奇妙滝』を造りました。やがて『米子瀑布駐車場』傍で『米子川』へ合流し須坂市を通って千曲川に流れ込みます。

 

 

 かなり昔『米子不動』へは『米子鉱山』迄の林道を通る事が出来ました。(現在は『米子不動・奥之院』関係者のみ通行可)

 

 『奇妙滝』へは此の林道を歩く事に成ります………が、肝心の『奇妙滝・入り口』から先は『崩落の為立ち入り禁止』となっていました。

 

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米子瀑布

 

 滝の水量が増える雪解け時、『米子瀑布』を訪れました。

 

 今年の冬季閉鎖解除は『5月9日』でした。

 

 ゴールデンウイークじゃ無かったところがミソ?

 

 五月は『ゴールデンウイーク』やら『のざわ山門市』も在り忙しく、情緒不安定になる前に『ズル休み』を決め込みました。

 

 折角、景色の良い処に行くのだから晴れた日じゃ無いとね(臨時休業が多くてスミマセン) 

 

 

 駐車場から歩いて15分程。高山植物の『イワカガミ』を見つけました。

 

 岩場に咲き、光沢のある葉っぱが『手鏡』の形に観ているから『イワカガミ』

 

 

 『不動の滝』を下流から近づきますけど此処まで。

 

 この先、立ち入り禁止じゃ無いけど足場が悪いですから自己責任です。

 

 『ヘルメット着用』&ロック経験者じゃ無いと無理。

 

 『米子不動・奥之院』から廻り込む道が在るんですけど滝つぼには近付けません。

 

 今年は『不動滝』から『権現滝』へ向かうルートが崩落の為通行禁止になっていました。(案内に書いておいて欲しかったな)

 

 『不動滝』の展望台(近づけない)迄を往復して『奥之院』迄戻り、『権現滝』(近づけない)迄又登る………体力温存の為今回はパス。

 

 そのまま『米子鉱山跡』へ向かいます。

 

 

 このシーン。どっかで見覚え無いですか?

 

 『真田丸』のオープニングに登場した『滝』で、『真田丸』ではCGによって断崖の上に『城』が描かれていましたけど。

 

 雪解けの時期にだけ現れる『名も無い滝』が見えています。

 

 でいつもの『おにぎりタイム』

 

 鉱山跡地の広場には『トイレ』は在るんですが『イス・テーブル』どころか日陰も在りません。(低木が一本だけ在りますけど)

 

 夏。『敷物』や『日傘』が重宝しますのでお忘れなく。

 

美原神社

 

 『〇〇神社』の〇〇は、祀られている『神様』の名前が多いです。(『稲荷』とか『諏訪』とか)

 

 その前に土地の名前とかが付いていたりするのが普通です。

 

 『諏訪大社』とは『諏訪神様』を祀った地だから『諏訪』の地名が付きました。

 

 (現在『諏訪大社上社』は『茅野市』に在るんですけど)

 

 

 『東立科』を走っていたら、高台に鳥居を見つけました。

 

 私の出身中学『野沢中学校』の通学エリアの中で最も遠い場所が『東立科』でした。

 

 『バス通学』の為、放課後遅くまでクラブ活動が出来ない難点が在りました。

 

 友達に『東立科』出身がいた為、自転車で遊びに行った覚えが在りますが、自転車で2時間!(ほぼ上り坂)掛ったのを覚えています。 今じゃ絶対に無理。

 

 その時神社は無かった? ただの林野だったと思うんですけど………

 

 

 周囲には伐採されたばかりの木が山になっています。

 

 最近開発が進んだのでしょうか。鳥居や神社も真新しい感じです。

 

 参拝しようと『鈴緒』を掴んだら『鈴』の中から『スズメバチ』が顔を出しました。

 

 『スズメバチ』等は絶対雨の当たらない場所に巣を造ります。

 

 この神社はガラス張り。内部に入り込めないから『働きバチ』の斥候が、巣造りの適所を探していたのでしょうか。

 

 『神社仏閣巡り』をしていて、山の中の古い神社などを訪ねた時、一番厄介なのが『スズメバチ』(今じゃ熊です) 庇の下などに大きな巣など見つけたら速攻退散です。(私、一度刺されてアナフィラキシー持ってます)

 

 

 スミレの一種、『タチスボスミレ』でしょうか。

 

 春の里山を堪能したいけど、蜂がいるからなぁ。

 

鯉のぼり?

 

 『佐久市・野沢』には有名な人形工房が在り、一年中『鯉のぼり』が泳いでいます。

 

 庭のある家が多いのも在るからでしょう、『端午の節句』になると各々の庭先で男の子の成長を願う『鯉のぼり』が風に揺れます。

 

 『沓沢』から『東立科』へと続く道をバイクで走っていたら、高台に『鯉のぼり』が泳いでいました。

 

 何故此の場所に? 訪れたのが五月末だから、時節柄それ程間違っちゃいないんですが。

 

 

 

 石碑に彫られた文字が………読めない。 『〇〇〇大士』

 

 

 石碑の後ろには切り立った崖、その崖の淵に祠が見えました。

 

 誰が何の為にこんな場所に?

 

 しかも足元が脆いからこれ以上近づけません。

 

 

 階段を登り詰めた先に『社』も在るのですが、兎に角何も手掛かりなし。

 

 先ずもって『刻まれた字』が読めないんですからどうしようも無いです。

 

 文盲率の高かった時代に伝わったのだろうか? それとも私が読めないだけ?

 

 どなたかご存じの方、ご一報をお願いします。

 

日影薬師堂

 

 『宮川』に架かる木造橋の先に御堂が見えました。

 

 トタンが葺かれる前は『茅葺屋根』だったんじゃないかな。

 

 

 トタンが無ければ時代劇のロケに使えたのにねぇ。

 

 今でこそ年初めには『神社仏閣』に赴き、『願掛け』するのが当たり前になっていますけど、本来『日本』は『神道』の国。

 

 神棚に祀った『神様』に新年の抱負を願うのが我が家流です。

 

 医学のなかった時代、『腹痛』とかなら民間療法による薬草(ゲンノショウコ)を煎じて飲む位の知識は在ったのでしょうが、大病に罹かると『加持祈祷』か『薬師如来』に願掛けするくらいしか出来ませんでした。

 

 願を掛ける『神社』にしてもご利益は限られていました。

 

 良縁祈願の『縁結び』には『出雲大社』 

 

 試合や競技の『必勝祈願』には『諏訪大社』

 

 農作物の『五穀豊穣』や『商売繁盛』は『稲荷神社』などなど

 

 尤も昨今は、ひとつの神様がオールマイティーに何でも願いを聞いてくれるみたいです。

 

 

 御堂の中には厨子に納められた『薬師如来像』が見えます。

 

 厨子内の『供養塔』には個人名が読み取れます。(ひょっとして個人で建立?)

 

 御供えや花なども新しく、頻繁に通っている人がいるのでしょう。

 

 早朝以外『日影』になりそうも無く、此の山の向こう側に在った『日向城』(日向は地名)に対する呼び名でしょうか。

 

 昔の人は『歯が痛い』時は『有りの実(梨の事)』を川に流して願掛けしたそうですけど効果在ったのかな。

 

沓沢 諏訪神社

 

 『佐久市・沓沢』地区はコンビニ等も一切ない静かな集落です。

 

 『竹田』を流れる『中沢川』と並んで『沓沢』を流れる『宮川』は自然水利の為、かなり古くから『水耕栽培=田圃』が行われていたと推察できます。

 

 て事は、『沓沢』の歴史もかなり古いのでは?

 

 山間部では、『こんな山の中に何故集落が?』と思うような場所に人が住んでいる場合が在ります。

 

 道路は舗装され(車での往来)、道路脇には電柱(電化と電話線)。そして何より飲用可の『水』が在る事。

 

 一説には『平家の落人』などと云われる事も在りますが、それはそれで『武士』の家系という事です。

 

 

 『宮川』沿いを走っていると鳥居を発見。近づいてみますと。

 

 鳥居はコンクリート製、重機で建てたのでしょうか。としたら大型クレーンが入った道がある筈。果たして………

 

 

 手水鉢に水が流れ落ちています。石垣も『打込接ぎ積み』ですが、『コンクリートカッター』など無い時代、鑿で削り落とし、平面を造り出した石を積んでいる様に見えます。

 

 『石垣の積み方』と『城造りの年代考証』を比較するとおおよその見当が付きます。

 

 築城が盛んになった『安土桃山時代初期』は『野面積み』と呼ばれる只大きな石を積み上げ、その隙間に小さな石を詰める積み方でした。山の上などに築城され、『空堀』や『崖』で防御を強化していましたが、石垣をよじ登れる可能性が在ります。

 

 『安土桃山後期』になるにつれ平野部に城が造られるようになり、石垣も『打込み接ぎ』から『切込み接ぎ』の積み方に移行します。石垣に隙間が無くなり忍者以外は登れない?

 

 『江戸時代』に成ると石垣にも建築美を求める様になり、(それだけ平和)一段の高さを揃えた『布積切り込み接ぎ』(青葉城)や『亀甲積切込み接ぎ』(駿府城)、更には『隅角部分』の反りの美しさと共に、強度を高めた『算木積み』(江戸城)などの技術進歩が見られます。只の『石垣』ですが見比べると面白いですよ。

 

 私の知識は『野面積み』(古い)~『打込み接ぎ積み』~『切込み接ぎ積み』~『布積』(新しい)~『石のこぎり登場』の順です。

 

 『コンクリートブロック』以降は石積みと云えないか………。

 

 学生時代、山間部に林道を開設させる為の土木のアルバイトに精を出しましたが 、此れがキツかったの何の。

 

 【解説・舗装林道が出来るまで】

 

 此処に林道が在ったら?との要望や土木課の提案からスタート

 綿密な測量の後どのように道路を造るか『青写真』(道路設計図)が造られます。

 

 建築業者が入札(癒着問題が多い場面)し、落札した業者が工事開始です。

 

 樹木を伐採(人力)し、大型重機(パワーショベル・ブルドーザー)が斜面を崩し『道』を造ります。

 

 砕石を敷き、圧力を掛けて地均し、『アスファルト』を敷き込み(フィニッシャー)ます。

 

 崖には『ガードレール』などの安全対策。水害対策には『水勾配』を配慮した『側溝』の取り回し。

 

 道路を傷める主要原因の一つが『水』との事です。

 

 斜面の『崩落防止』の為に『コンクリート吹き付け擁壁』や『ブロック擁壁』で対応します。

 

 最終検査で問題が在れば、最悪最初からやり直しもあり得るとか。かなり大変です。

 

 私が携わったのは『コンクリートブロック擁壁』の積み上げ作業です。

 

 時は3月末の春休み、山の奥地に向かう為、出発は7:00だったと思います。

 

 舗装の終わった山道に、業者が運び上げて置いた『コンクリートブロック』が並んで置かれています。

 

 基礎部分になる三角形の『Cブロック』を水平に(此処大事)一列に並べ、その上に傾きが同じ向きになる様に長方形の『Aブロック』を一段並べて行きます。更にその上には逆向きに一段。此れを必要とする高さ迄積み上げるのですが、万が一に擁壁が崩れた場合を想定し、数メートルおき(スパン)に接続部(ボード)を設置します。此処で使用されるのが『Bブロック』、縦一直線に『ボード』を挟む為、長方形の『Aブロック』の隙間を埋めるのが変形のブロックです。

 

 この万が一の為の『スパン』は、最悪崩落しても最小限の被害で済ませられる範囲(修復可能)の事です

 

 頂上部迄達したら『Cブロック』を逆さまに積み重ねて水平にし、裏面にコンクリートを流し込み固まったら完成です。

 

 通常、『パワーショベル』等に取りつけた、コンクリートブロックの『吊り下げ装置』を用いて高い位置まで運び上げますが、届かない高さになると『クレーン車』が必要になります。クレーン車のチャーターは結構高額な為、少しくらいの高さなら『人力』で運びあげる場合も在ります。

 

 まさに私がバイトした時がこの『人海戦術』の力仕事。

 

 現場到着後、焚火等で身体を温めてから作業開始。一個10数キロのブロックを両手で抱きかかえ、歩きづらい坂道を上ります。当時柔道で体を鍛えていたとはいえ、かなりの重労働。あっという間に汗が吹き出します。しかも安全靴など無かった時代。もし足にでも落としたらと今考えると………まっ40年以上前のはなしです。大汗を欠く程の重労働ですが、少しでも停まっていると今度は寒さが身に応えます。

 

 その現場は時間帯によっては陽があたらず、太陽光が当たった瞬間、太陽の温かさを感じられるほどの過酷な作業現場でした。

 

 私がブロック積みした現場を、今でもたまに通る事が在りますが、まだまだちゃんと残っています。

 

 以上、『石積み』に興味を持ったきっかけでは在りませんが参考までに。

 

 

 

 余りにも漆喰の白が際立っていますので手直しされたみたいです。

 

 参拝後、賽銭を入れる隙間から覗いてみましたが真っ暗で拝殿内の様子は解りませんでした。

 

 

 『本殿』部分の石積みは『野面積み』 時代の流れを感じます。

 

 害獣除けの板塀で囲まれた為、本殿の様子も覗えませんでした。

 

 『本殿』迄を繋ぐ『階段部分』を含め、三段の屋根付きの『諏訪神社』は他に余り見掛けません。

 

 これも『沓沢』がかなり裕福な土地だった事を覗わせてくれます。

 

榛名社跡

 

 県道145号線(相浜本町線)を『平井』~『竹田』に向けてバイクで走りました。

 

 高台に鳥居が見えました。坂を登って鳥居を潜ると。

 

 扁額が無く、社にも何も書かれていませんので何の神様が祀られているのでしょうか?

 

 

 

 注連縄の『紙垂』が破けていました。まだ雑草が茂る時期では無いので歩き易いですが、夏になれば誰か草刈するのかな。

 

 

 優しい顔立ちのお地蔵さん。『百番〇〇』って何だろう?

 

 

 『南無阿弥陀仏』と掘られていますので完全に『浄土』系の仏教です。

 

 おそらく、村境いや街道筋に置かれていた『石像・石仏』などが此処に集められたのでしょう。『神仏習合』の時代、神社境内などは『不可侵領域』でしたので往々に観られる現象です。

 

 

 『三角点』の脇に立つ『榛名社跡』の石碑から推察するに、『榛名神社』の末社が在ったのでしょうか。

 

 社に収められている御札を見れば神社名も解るのですが、神職でも無い者が勝手に開ける訳にもいかず………。

 

 どなたかご存じの方ご一報お待ちします。

 

大井港直営食堂・さくら

 

 『桜エビ』の天日干しが観られないのならば、食べてやる!とググったらHitしたのが『大井港漁協直営食堂・さくら』

 

 マップで目的地に設定してナビ開始です。

 

 

 午後1時過ぎ。空いているだろうの予想は大きく外れ、駐車場はほぼ満杯。

 

 入り口には順番待ちの列が出来ていました。

 

 急いで並び、前の人に「受付とか在りますか?」と尋ねると「順番に案内しています」との事。

 

 以前、某有名店で列に並んでいた時の事。30分も並んでやっと店内に入ったら受付の記入簿が在る事に気が付いた。当然のごとく順番を飛ばされて以来、順番待ちの列に並ぶ時は記入簿の確認をする事にしています。

 

 記入して待っていても、後から来た『スマホ予約』とかの人が並ばず席に案内されるシステムの店(某回転ずしチェーン)は、公平でない気がするのでニ度と行かないです。

 

 スマホを使いこなせない人は『馬鹿を見ろ』と云っている気がしてならない!

 

 

 残念ながら『生シラス』と『生桜エビ』は売り切れでした。

 

 『二食釜揚げ丼定食』を注文しましたがこれで¥900は安い!

 

 ホールを仕切る係の方が手際よく人数に在った席(座敷orテーブル)を指示していきます。食券を購入して窓口に持って行くと直ぐに提供される手際の良さ。

 

 某フードコートの様に空席を探してウロウロ。注文後に呼び出し機を渡され、ピーピー鳴ったら慌てて取りに行く何て煩わしさも無し。

 

 あっ。私料理は直ぐに食べる主義ですので写真撮るの忘れてました。

 

 ふと廻りを見渡すと、食事が終わっているのにスマホの画面を見せ合ったりしてるグループがチラホラ。(全部ババ―のグループ)外では席が空くのを待っている人がまだ大勢いるのに、他人の事はお構いなしの無神経さ。こんな高齢者に成りたくないなぁ。

 

 海沿いを走る時、先ず漁港を探します。

 

 漁師が漁を終えて海から戻り、荷上げと片付けを終えた後に立ち寄るような食堂。

 

 大抵は漁協が運営し、未亡人などの生活を護る為に女性オンリーで運営されます。

 

 漁を終えた漁師の為の食堂で、早朝(漁によっては夜中)から営業しています。(その代わり昼で終了)

 

 料金も大雑把な処が多く、一人一回千円で食べ放題など。(飲み物別)漁協関係者じゃ無くても利用できる場合が多いです。夜通し働いて来て、お腹を満たし、一杯飲んだら風呂に入って寝るだけ。(飲酒運転禁止)

 

 以前、車で北海道を旅行していた時、偶々見つけた漁共運営の食堂を見つけました。

 

 朝から一杯やって賑やかな店内。「何処から来た」「キャンプしながら旅しています」などの会話が弾み、「アレも食べてみろ。此れが美味いぞ。カニ出してやれ」など大満足の朝食でした。此れで¥1000。

 

 挙句『トロ箱』一杯に『イカ・ホタテ・魚』などを持って来てくれて「キャンプ場の皆でバーベキューして食べろ」です。お金払おうとすると受け取りませんでした。

 

 『民宿』も利用します。出来れば釣り客相手の『船宿』

 

 『釣り人』を乗せて早朝から釣りに出掛ける為、朝は早い時間からガヤガヤしますが、船長の釣果が食事に並ぶ事が多く、新鮮な刺身が食べ放題。「足りなきゃ捌くぞ」です。

 

 又夕食時、隣席した釣り客と飲み交わしたりして楽しいひと時の後、見事な『鯛』を頂いた事も在りました。(クーラーボックス持っていましたから持って帰りました)

 

 旅は良いなぁ。何処か行きたくなっちゃった。

 

蓬莱橋

 

 貴方もきっと観た事ある筈です。

 

 木造の橋で、大井川に架かる人道橋です。(自転車もダメ)

 

 時代劇などで木造の長い橋を渡るシーンが在れば大体此処です。

 

 

 最近見観た映画では『超高速参勤交代』のロケに使われていました。

 

 橋の全長は897.4m。『やくなし=厄無し』に掛けているそうですが『麻雀』する人にとっては有り難く無いかも。

 

 

 大型無料駐車場が在り、かなりの台数が停まっています。

 

 橋は保存の為有料で(大人¥100)、チケットを購入してから橋に向かいます。

 

 ゲート手前では係員がチケットの有無をチェック。と同時にカメラマンになってくれます。

 

 

 涼風の吹き渡る木造橋をドコドコ歩いていると、ポツポツと雨粒が落ちて来ました。

 

 まだ橋の半分も来てないけど濡れるのも嫌だから途中で引き返します。

 

 

 誰だか興味在る人は調べてね。

 

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長島ダム

 

 『奥大井湖上駅』を後にし『長嶋ダム』へと下って来ました。

 

 

 先ずは『アプト式機関車』の通過時刻を確認する為に駅へ。

 

 

 駅構内は『ラックレール』が無いんですね。

 

 

 駅待合室には、手造り感満載の観光案内が。それにしても『たぬき村?』

 

 恐らく地元の小学生製作のパターンですかね。

 

 

 隣の『アプトいちしろ駅』は機関車の連結なども在り人気の駅ですが、『長島ダム駅』で下車する人は少ないのかな。

 

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奥大井湖上駅

 

 私が今までに訪れた中で、10本の指に数えられる風景のひとつが『奥大井湖上駅』です。

 

 駐車場から上り坂を歩く事約20分。

 

 『奥大井湖上駅』を見下ろす『展望台』に到着です。

 

 ズルをするなら県道沿いからも似た風景が見られますが、事故防止の観点から奥大井湖を見下ろせる箇所の県道388号線は全て『駐停車禁止』になっています。

 

 もしSNS等にUPされている写真が『展望台』以外からの写真なら、マナー違反という事に成ります。(見下ろす角度が微妙に違うらしい)

 

 

 実際に歩いて登ったからこその写真です。

 

 

 朝八時半。奥大井湖上駅駐車場に到着です。

 

 車内拍をしたのかキャンピングカー他数台の車が停まっていました。

 

 この駐車場、隣接して個人所有の作業場も在るのですが、トイレ・水場などは在りません。

 車中泊の人はどうしているのだろう? モラル在る行動しないと夜間立ち入り禁止になっちゃいますよ。

 

 山間部の道路などで、拡幅部がバリケードによって閉鎖されている処を見掛けます。

 

 恐らく目に余る『ゴミの不法投棄』や『トイレマナー違反』によって行政指導で執られた措置だと思います。

 

 故障やチェーンの脱着、長距離トラックなどが法令の休憩をとる為に道路の至る所に造られた拡幅部ですが、一部のマナー違反によって利用できなくなっています。困ったもんだ。

 

 

 駐車場からいきなり階段を昇り上げ、その後急階段を128段下らないといけません。

 

 帰りはこの急階段を昇るって事。足腰丈夫なうちに行かないとね。

 

 

 ブログに書き込むのも二回目ですので、かなりの部分は割愛しますけど。

 

 前回確認しなかった『喫茶兼休憩スペース・晴耕雨読』のトイレがどうなっているのか確認する為に来たようなもんです。

 

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大井川

 

 『箱根八里は馬でも越すが 越すに越されぬ 大井川』

 

 と東海道の難所に謳われる『大井川』

 

 広い川幅いっぱいに 真っ白い石ころが広がって。それが清流の流れと、新緑との調和が素敵な川です。

 

 春先、駿河湾の『桜海老』漁が解禁になると、白い川石の合間に『海老干場』が造られるそうです。

 

 う~ん見てみたい。(某グルメ漫画で観てから行きたい場所候補に挙げていました)

 

 早朝佐久を出発し『中部横断道』を利用して『三島』迄ひとっ飛び。

 

 高速代節約の為、『増冨インター』~『新東名・三島』迄の利用でしたけど。

 

 いや~早い早い。(途中、ず~っと続く一車線区間を何故か60㌔走行の車に塞がれ、長蛇の列が出来ていましたけど)しかも第二東名の制限速度は120kmになり、皆さんビュンビュンに飛ばしています。ウチのオンボロでもまだまだ快走してくれました。

 

 

 朝七時過ぎ。『塩郷の吊り橋』到着です。

 

 駐車場にはすでに車が2台停まっていますが、周囲に人影は見あたりません。

 

 

 『塩郷駅』から電車(SLも走行する路線ですが電化です)でも乗ってったか。

 

 『小海線』ですら電化されていないのに………

 

 『JR大糸線』が存続のピンチです。『新潟県・糸魚川』と『長野県・松本』を結ぶ大糸線は、学生の通学に無くてはならない路線です。その内『長野県・松本~南小谷』区間はJR東日本の管轄で電化済み。一方『長野県・中土~新潟県・糸魚川』区間はJR西日本の管轄で非電化。此の為ディーゼル機関車を連結し直さなければなりません。

 

 JR東日本発行の『大人の休日倶楽部』も『JR西日本』管内は利用できませんのでこの区間を利用するには別料金が必要になります。

 

 JRさん。そんなところで縄張り意識張っていないで、『大人の休日倶楽部』の範疇にすれば? 利用者も増えるし、廃線の危機も乗り越えられるんじゃないの? ンとに融通が利かないんだから。

 

 

 『吊り橋』ですので、両岸に差し渡したワイヤーの張力で橋をぶら下げています。

 

 

 民家の屋根越に橋が架かっています。

 

 地元の人の中には、この足場の上を自転車で走る猛者も居るとか。

 

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仏岩

 

 『大門街道』は『長和町』と『白樺湖』を結び、『茅野』から『高遠』、更には『静岡県・浜松』迄延伸する主要物流街道でした。

 

 海無し県の『長野』にとって『塩』や『干物』などの海産物の入手ルートは限られていました。

 

 日本海側からは『糸魚川』や『直江津』経由のルートで塩が運ばれ、『塩』が売り切れた辺りが『塩尻』と呼ばれました。

 

 太平洋側からのルートも幾つか在りますが、険しい山間部を最短ルートで南北に繋ぐ『現国道152号線』が重宝されたようです。

 

 『白樺湖・大門峠』から北上し『ブランシェ高山(ホントは鷹山)』への分岐を過ぎると、右側の稜線にごつごつした岩塊が見られます。

 

 『仏岩』のバス停は屋根付きの待合室が在り、この奥に別荘地が広がります。

 

 別荘族は高級外車で出入りしていますのでこのバス停、利用者居るのかな?

 

 

 『仏岩』とへ行くならこの付近に車を停めるのがベストです。

 

 

 道を渡って登山口が此方。

 

 

 岩の上に在るのは長野県下最古の『宝篋印塔』ですか。

 

 30分程急峻な登りですか。大した事無いか………

 

 

 余り人が入っていないみたいデスが、踏み跡がしっかりしているから迷う事は無さそう。

 

 秋の枯葉が積もったままです。

 

 此れから夏にかけて雑草が伸びると藪になりそう。

 

 

 途中『展望台』への分岐が在りました。

 

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前山桜の里公園

 

 4月下旬、桜を探し回り廻った店休日の出来事です。(2ヶ月前の事です)

 

 今年は何処で花見しようかと、新たな発見を求めてバイクで走り廻っていました。

 

 『小諸・耳取神社』の『枝垂桜』も見頃でした。

 

 

 『小諸・押上』の桜のトンネルも昨今は知名度が上がり、沢山の車が入って来ていました。此れじゃ『おにぎり』食べられない。

 

 そうだ、あそこへ行ってみよう。

 

 

 名前に『桜の里』と書かれているのだから、さぞや桜が見事かと。(実は桜の時期に訪れた事は無かったです)

 

 場所は『布引温泉・御牧の湯』から『御牧ケ原台地』へ向かう地方道の一角。小さな看板が立っているだけです。

 

 

 舗装路から泥道に入ると駐車スペース10台程の広場が在ります。

 

 泥濘んだら厄介だから停める場所を考えて、譲り合って停めましょうね。

 

 

 轍も在りますが、管理車両のみ通行可です。

 

 『水仙』が植えられているって事はかなり人の手が入っている?

 

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読書の森

 

 小諸・千曲川西岸の『御牧ケ原』に『読書の森』は在ります。

 

 最寄りの公共交通機関は『県立農大前』までコミニュティーバスが走っていたと思いますが詳しくは小諸市へお問い合わせください。(大抵は車で行っちゃう)

 

 『茶房・読書の森』といいまして、メインは『喫茶店』なのですが、広い敷地の中に有料の宿泊施設が在ります。

 

 

 モンゴル式テントの『パオ』や『コテージ』で泊るのですが、テレビもコンセントも無い夜を体験するのは如何?

 

 昨今の『キャンプ』は便利過ぎて………『グランピング』に泊まるならホテルと大して代わらないじゃん。

 

 喫茶室の壁という壁には本棚が並び、色んな分野の本がスラリ。

 

 私ゃ『コーヒー』飲みながら、郷土史や、山岳写真集うぃ観るのが好きです。

 

 多分貸し出しもしてくれるんでしょうけど次に何時行けるか解らないから滞在時に読むだけです。

 

 時間が在れば『店内散策』も可です。

 

 奥さんの『機織り機』なども実稼働しています。

 

 キャンプフィールドは是非とも散策して下さい。

 

 

 オーナー手造りの『炊事用かまど』 う~ん『エキセントリック』

 

 他にも『ピザ窯』なども利用可です。

 

 

 この林の中の黒い建物。入り口は無く小さな蓋つきののぞき窓が幾つも在ります。

 

 覗いてみると………(ご自身でお確かめください)

 

 

 此方はコテージの中。 

 

 訪れた四月中旬でストーブが置かれていました。

 

 偶に外人さんがふらりと来て連泊していくそうです。

 

 若かりし頃『バックパッカー』に憧れて各地を旅行しましたが、現在はビジネスホテル拍が一番楽かな。

 

 今でも店休日前に車で出かけ、ぼっちキャンプ宜しく其のまま山の中の駐車場で車中泊。酒と缶詰、カップ麺が在れば一泊位どうとでもなる。

 

 バイクツーリングに行く場合も、荷物を極力減らしたいから『ビジネスホテル』(時にラブホ)が安くて便利。糞熱い夏場でも冷房・風呂付で快適に睡眠がとれます。

 

 しかも『夜討ち朝駆け』で寝覚めたら即出発できるのもお勧めです。

 

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御影神社

 

 『湧玉用水』の水源池がこの辺りだったと思い探したのですが解りませんでした。

 

 『静岡・柿田川湧水』程の湧出量では在りませんでしたが、この神社から歩いたと思ったんですけど………何処だ? なんせ45年振りか。

 

 『川』の湧水部って何かパワーが漲っている感じで大好きです。

 

 

 道路開発のお陰で雰囲気がまるで変ってしまいました。

 

 昔は幹線道路から離れた、地元の人か迷い込んだ人しか知らないような神社だったのにね。

 

 

 石造りの『二の鳥居』には『諏訪高山?』と刻まれています。

 

 『御影神社』なの? 『諏訪神社』なの? 良く解りません。

 

 

 参拝を終え、拝殿を覗き込むも、何処にも何の神様を奉っているのか解りません。

 

 

 境内にはこんな面白い形をした灯篭も。

 

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配水池

 

 『配水池』 読んで斯くのごとしならば『飲料・農工業用に配水する為の水を蓄えた池』のはず。

 

 

 場所は佐久インターから県道9号線を軽井沢方面に行った『クロネコ〇マト』と『パチンコ屋』の間。マンションの北隣に在ります。

 

 フェンスで囲まれて、古めかしいコンクリートブロックの施設ですが気に留める人も居ないか。

 

 『池』と在るからには『大きな貯水池』でも在ったのでしょうか。

 

 その後衛生上の問題などからコンクリート製のプールに造り替えられ、ゴミなどが混入しない様に屋根まで造られました。更には不法侵入などされない様に施錠され、フェンスで仕切られた。(想像ですけど)

 

 

 隣接してマンションの外階段が見えますので階段をお借りしまして上から覗いてみると………

 

 コンクリ―ト保護の為なのか、はたまた景観の為なのか、上部は芝生で覆われています。(訪れた時は冬枯れでした)

 

 高麗グリーンのパット練習に丁度良いかもなんて思っていません?)

 

 しかも最近塗り替えられたであろう水色のペンキや松の木の手入れから見ても頻繁に管理の手が入っているみたい。

 

 

 佐久水道企業団の施設なのは解りましたけど、防疫上………の続きが気になる!

 

 まっ『関係者以外立ち入り禁止』だろうけど。

 

 でも何で此処に給水施設が在るのかは謎のまま。どなたかご存じの方いらっしゃいましたらご一報を。

 

 

四ヶ用水

 

 佐久市で一番低い所に在るのが『佐久下水処理場』だそうです。

 

 『湯川』の脇に在って、2019年の台風でも災害の出た場所です。

 

 国道141号バイパスで『湯川』を渡る時、河岸段丘のかなりの高低差を登り上げます。

 

 この高台の一帯が『三河田』です。『三河田』の名前の割には『川』が流れていません。実は『湯川・四ヶ用水頭首工』から水を取り廻した『農業用水』です。

 

 『岩村田宿』から東へ向かう『県道156号線=草越豊昇佐久線』付近の『湯川』から水を取り入れ、『鼻顔稲荷(洞門)』~水芭蕉で有名な『おもいつき農園』~『生コン工場脇』(地下トンネル)~『北中込駅南』~『国道141バイパス』を渡って『横和』の辺りで地表に出て分岐を繰り返し各田圃へと流れ込みます。

 

 現在の『三河田』は工業地帯のイメージが強いですが、昔は田圃しかない広大な農業地帯でした。

 

 

 魚道を備えた堰堤

 

 

 コンクリートの水門による『頭首工』

 

 

 『湯川』の水は………まっ 滔々と流る。って事で。

 

頭首工

 

 何のこっちゃ? と思うでしょうけど、早い話が『用水の取り入れ口』の事です。

 

 現在の農耕地は、先人の苦労の賜物です。

 

 その昔、此の地に用水を引き、広大な田園地帯の耕作を計画した人達がいます。

 

 佐久の地に於いては『市川五郎兵衛』

 

 『上州南牧村字羽沢』の小領主の家に産まれ、武士として『甲斐・武田家』家臣として働くが、徳川政権の時に帰農し佐久に移住。御領地として良質な『米』の穫れていた農地を如何に拡大するかを徳川幕府に稟議し、『徳川家康』から直々に開発許可の朱印状を取り付けます。

 

 『千曲川』や『湯川』の浸食作用によって取り残された丘陵地帯に如何に『水』を廻すか?

 

 先ず第一に『湯川』に『頭首工』を築き、用水に水を取り込む事によって、本来の『湯川』の川面より高い位置を保って水をながします。

 

 最初に手掛けた『常木用水』によって『佐久平駅以西』から千曲川迄の広大な面積に『市村新田』を造り上げる事に成功します。次に『湯川左岸』にも頭首工を築き『四ヶ用水』を造り『三河田新田』を造成する事に成功しました。

 

 

 そして千曲川西岸の丘陵地帯に目を付け『鹿曲川』に『頭首工』を造り水を引き廻せば『浅科』全域を田園地帯にすることが出来ると考えます。『トンネル』や正確な『水勾配』の用水路を引き廻し、出来たのが『五郎兵衛用水』です。(三つとも五郎兵衛さんが設計したんですけどね)

 

 

 湯川に堰を造り、『常木用水の頭首工』がこの写真の足元部分(右側コンクリート)です。

 

 此処から取り入られた水は『ヒカリゴケ』の洞窟前を通り、『佐久大学』北を廻って高速道路の手前辺りで各方面に分岐します。

 

 実は此の『高速道路』と『カ〇ンズ』の間に自然水利の河川がながれているのですが、水位が低い為、田んぼに引き込むには揚水ポンプが必要になってしまいます。

 

 『湯川』に『堰』を造ると『魚』が遡上できなくなるので『魚道』と呼ばれる『階段型水路』を設けていますが、100%の遡上が期待できる訳では無いそうです。(ダメじゃん)

 

 改革の為には多少の犠牲………の考え方なのかなぁ。

 

 

 頭首工近くに石碑が並んでいます。

 

 

 『活水碑』と刻まれています。文面はイマイチ読めませんでした。

 

 佐久教育委員会さん。出番ですよ。

 

櫻山神社

 

 『猿久保』の『幸神社』前に在る道標を読み取ると『右 佐久甲州街道』『左 下仁田道』と在りました。

 

 江戸時代の旅人は此の道を歩いて下仁田へ向かったのか。と『下仁田道』を進んでみますと、住宅地の切れ目に鳥居が見えました。

 

 

 立派な鳥居の割には小さな祠がポツンと。

 

 でも此の場所

 

 

 湯川の造り出した河岸段丘の端に在り、遠く遠望する浅間山の美しい事。

 

 この高台に家を建てた人は浅間山が美しく見えるからこの地を選んだのではと思う位、山体の角度・仰角共に素晴らしい!です。

 

 その後パチンコ店が出店し夜中まで煌々と明かりが灯る様になってしまいましたが。

 

 そのパチンコ屋も何度か行った事在りますけど、崖の上に神社が在るとは思いもしませんでした。

 

 ひょっとして個人所有の『祠』でしょうか。

 

 『櫻山』の由来を説明する案内等も在りませんでしたし。

 

 ひょっとして昔は小高い山に『櫻』が生い茂っていたのかな。

 

 でよせばいいのに、エアコンの涼を求めてパチンコしたら………行かなきゃよかった。

 

幸神社

 

 古~い道。大好きです。

 

 『佐久甲州街道』で岩村田宿から南下、『湯川』を渡った辺りから細い道が分岐します。此の道が『佐久甲州街道』であろうことは『神社』の鳥居などから伺い知ることが出来ます。

 

 神社の名前は『幸神社』 良い名前ですね。でも知名度は低いかも。

 

 私も恥かしながらこの年までこの場所に神社が在るとは知りませんでした。

 

 

 昭和50年に建てられた由来が彫り込まれています。

 

 祀られているのは『猿田彦大神』と『天鈿女(うずめ)命』

 

 『猿田彦大神』は『邇邇芸命』が天孫降臨の際に現れ道案内をした地上の神様。

 

 神を導いた事から『旅・方角・道』などに精通しているとされ、道祖神に祀る地域も在ります。其の容姿から『天狗』の原型になったともされます。

 

 『天鈿女(うずめ)命』は『葦原の中つ国(天上界)』の神様で、『天照大神』が『天岩戸』に隠れ世の中が闇に包まれた際、『天岩戸の前』で松明を焚き、音楽に併せ楽しそうに踊りを踊ったとされ、『天照大神』何事かと少し隙間を開けた瞬間『天多力男(アマノタジカラオ)神』が岩戸をこじ開け、世の中に光が戻ったとされます。

 

 胸元をはだけて踊った様から『弁天様』の元になったとも謂われています。

 

 参拝をしていると品のよさそうなお婆さんが参拝に来られました。

 

 近所に昔から住んでいる方だそうで、毎日の参拝を欠かしたことが無いそうです。

 

 道を挟んで『猿久保公会場』が在り、地区の基幹だったことが伺えます。

 

 

 チョット見づらいですけど、『右 甲州』『左 下仁田』と書かれています。

 

 『佐久甲州街道』と『下仁田街道』の分岐点です。

 

 昔の人は此の神社の木陰で一休みして旅をつづけたのでしょうか。

 

 私ゃバイクのエンジンを掛けて出発です。

 

馬頭観音塚

 

 バス路線だった国道141号線は佐久市役所の西側を通る『現県道138号線』になりました。

 

 此の道、歴史は古く、江戸時代には『佐久甲州街道』と呼ばれ、『信濃』と『甲州』を結ぶ重要な道でした。昔、佐久・千曲川東岸を南北に結ぶ主要道路は、此の佐久市役所西側を通る道しか在りませんでした。

 

 佐久平駅の東を通る『バイパス』が国道認定を受け、『国道141号線バイパス』になると、保全・修復などを国が管理(お金を出す=国税)します。

 

 佐久市役所の東を通る道路が『国道141号線』、一本の国道として認可されるのはバイパスを含め道路二本迄。新しい道が出来ると必然旧国道であっても県道に格下げせざるを得ません。

 

 こーちゃんの子供の頃『野沢地区』から『浅間病院』や小諸方面に向かうにはこの『佐久甲州街道』を通ったものです。

 

 

 

 某大手ドラッグストアの並びに、一本の桜の木が立っています。

 

 こんもりと盛られた土塁は『塚』になっています。

 

 きっと道路の舗装・拡幅の時、『一里塚』の在った場所に『石碑・石造』を集めたのでしょう。

 

 

 『馬頭観音』が多く見られます。旅の安全を願い建てられたのでしょう。

 

 ん?この右側の石像は何だ?

 

 首を欠いた『牛』の様にも見える………『廃仏毀釈令』ってホント罪な法律ですね。

 

皇大神社

 

 『皇大』とも『皇太』とも書くそうですが、日本の神様の最高神である『天照大神』の事です。

 

 『神宮』(伊勢神宮)は『皇族』の先祖の『天照大神』を奉っている処です。

 

 色々な神社が在る中で『皇大神社』とはかなり社格が高いのでしょうか。

 

 

 一の鳥居の周辺を見てみましたが、線路に道を阻まれアプローチするには工場の敷地を通るしかありません。

 

 

 他に参道が在るのかと線路へ来て見ると丁度ディーゼル機関車が通過する所でした。

 

 線路から離れてカメラを向けると警笛を鳴らされてしまいました。(それとも挨拶だったのかな?)

 

 

 場所は『滑津川』と『志賀川』の合流する少し下流。河岸段丘の上に在ります。

 

 地図で見れば簡単なのですが何故か一の鳥居の在る場所は産廃業者の敷地内。

 

 以前この場所には『漬物業者』の工場が在ったと思ったんですけど………

 

 

 参道の石段を登り拝殿にて参拝。

 

 でも『菊の御紋』がある訳で無く、建物も新し目です。

 

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相生の松

 

 国道141号バイパスの『浅間病院西』交差点から『佐久市立浅間病院』方向へ曲がると(角にラーメン屋の在る所) 道は大きく畝ります。

 

 病院を建てる為に道が迂回しているのかと思っていましたけど、実は『中仙道』が先。

 

 そして中仙道の名残がこの曲がり角に在ります。

 

 

 『二本の松=相生』が生えている廻りに幾つもの石碑が在るのですが、由来の在りそうな石は苔むしていて文字が読めません。

 

 御影石にかろうじて『旧中仙道・相生の松』が読めます。

 

 街道は『浅間病院』の北側を通り『御岳神社』脇から『岩村田宿』へと向かいます。

 

 只、それだと『若宮神社』が外れてしまう………

 

 今は住宅地の中に在る『若宮神社』ですが、参道入り口が在るのは街道沿いの筈です。

 

 そうすると浅間病院の北を通るのではなく、南側をクネクネ行くのが旧中仙道では?

 

 なんて事考えながら地図を見るのがすきなんですね。

 

荘山稲荷神社

 

 『中部横断道』を『佐久・IC』から『佐久南・IC』方面に南下すると、『新幹線』のガード下を潜るUP・DOWNを過ぎた辺り、左手に朱塗りの建物が見えて来ます。

 

 鳥居が在るので『神社』と解りますが、わざわざ訪ねた事は在りませんでした。

 

 『佐久市・塚原』の『荘山』に建っていますから『荘山稲荷神社』(まんまじゃん)

 

 駐車場とか在る訳じゃ在りませんので近くの道路拡幅部に路駐になります。

 

 

 旧中仙道沿いに石造りの鳥居が建っています。

 

 ふと鳥居の脇を見ると

 

 

 個人作ったであろう『パウチ』された説明書きが立っていました。

 

 『稲荷神社』は普通『稲荷神=(穀物の神様・ウカノミタマノカミ)』をお祀りします。(食と書いてウケと読み『保食神=ウケモチノカミ』も同意だと思われます)

 

 文面を読んでみますと創立は江戸時代中期の1714年。当時盛んだった『養蚕』と『五穀豊穣』を祈願する為、村の守り神として祀られたようです。(建立者不明)

 

 『保食神』についての説明

 

 『天照大御神』の命を受け、妹の『月夜見の命』に『葦原の中つ国に住む『保食神』を訪ねます。『保食神』は歓迎の為に口から様々なモノを出し『月夜見の命』に献上しようとしましたが、『口から吐きだしたものを食べさせようとはナント汚らわしい!』と逆上して『保食神』を殺してしまいます。此れが元で『天照大御神』と『月夜見の命』は仲が悪くなり昼夜を分かつ様になります。

 

 その後『天照大御神』は『天上の熊人』を使いに出し、その後の『保食神』の様子を見に行かせます。『保食神』の亡骸からは『蚕』の他『五穀』『大豆』『小豆』などの『苗』が芽吹いたそうです。『天上の熊人』がこれらを持ち帰ると『天照大御神』はそれらを育てます。やがて種子が採れると「これらは人間が必要としたり食べる為の物となるでしょう」と言い、広く人間界に流布したとの事です。(一部拡大解釈在り)

 

 『神道』の日本に『仏教』が伝来し『神仏習合』が広がると様々な弊害も起きる様になります。明治政府は『神仏分離令』を発し『神道』と『仏教』の切り離しを図ります。その結果『お寺の中に在った神社』を無理やり分離したり、『石像・石仏』の破壊行為などが平然とおこなわれました。今でも『寺院』と『神社』が隣接しているのはその名残です。

 

 

 中仙道からあぜ道を北へ歩きましたが、石段を登った先の拝殿は西を向いています。

 

 ブロック積の上に鎮座しているのは『高速道路工事』の影響でしょうか。

 

 真新しい朱塗りの『鳥居』や『拝殿』、『ブロック壁』のお陰で、一見チープな感じがしますけど実は中々奥深いんです。

 

 

 参拝してから中を覗いますと

 

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塚原・諏訪神社

 

 流石、本家本元の『諏訪大社』お膝元の長野県下では、至る所で『諏訪神社』を見掛けます。

 

 今回は『旧中仙道・塚原』に在る『諏訪神社』です。

 

 

 江戸時代に整備された『中仙道』の脇に在り、神社前の広場には現在『消防用倉庫』が置かれています。境内には『火の見櫓』も見えます。

 

 

 小さいながら別棟に『社務所』も備えています。

 

 先ずは拝殿にて参拝。その後中を覗いますと

 

 囲われた中に『本殿』も見えます。

 

 

 本殿脇にもう一つ鳥居がみえます。

 

 『御嶽信仰』のようで沢山の石碑も立っています。

 

 

 昔は霊峰『御嶽山』に登る『御嶽講』が盛んだったようで、登った人たちが立てたのでしょうか。

 

 毎月少額づつ積み立て、ある程度まとまったら『霊峰』に参拝する『講』が各地に在った様ですが、佐久の地に多く見られるのが『御嶽講』です。

 

 『伊勢講』や『冨士講』『大山講』など日本各地に『講』が存在し、数名が代表して参拝してくるシステムです。

 

 お金を出し合って代表者が参拝し、留守番の人達にお土産を買ってくる風習が今でも続いています。

 

 『御札』だったり、その地域の特産品だったり。

 

 『ぴんころ地蔵』参拝の際にもお土産を是非。

 

落合・諏訪神社

 

 佐久市の『塚原』を中心とした広大な面積の田圃は南側の『湯川』まで続いています。

 

 『湯川』や『千曲川』の造り出した河岸段丘は天然の防御壁を成し、幾つかの『城跡』が見られます。

 

 『時宗寺』に隣接して鳥居が見えます。

 

 

 竹藪の中の石段を登って行くと

 

 

 開けた場所に見えて来た拝殿。この『社紋』は何だろう?

 

 『梶の葉紋』かな。『諏訪梶の葉紋』は分岐した根っこが描かれていますけど、この紋は立ち木を表しているみたい。因みに『諏訪大社』の『上社』と『下社』では根っこの数が違います。興味ある方調べてね。

 

 

 参拝しまして拝殿を覗いますと。

 

 かなり古いであろう写真が掲げられていますが、イマイチ小さくて確認出来ません。

 

 太い梁などから推測するに、『落合城』の領主が建てた物でしょうか。

 

 

 側面から本殿。装飾の少ないシンプルな造りです。

 

 グーグルマップを頼りに『落合城』を探し回ったのですが、それらしい石碑とか発見できませんでした。

 

 多分『農耕地開拓』で整理されちゃったのかな。

 

佛谷山・時宗寺

 

 地籍は『佐久市・鳴瀬』 『湯川』が『千曲川』に合流する『落合』ですが、千曲川の浸食スピードの方が速かった為、流れ込む湯川の傾斜が急になり、水が音を立てて流れたであろう事が推察されます。(段差ができると滝)

 

 正式名称『曹洞宗 佛谷山 時宗寺』 曹洞宗ですので『禅寺』です。

 

 

 県道103号線は『旧中仙道・塩名田宿』と『鳴瀬』~『岸野』を結ぶ主要幹線道路だった筈ですが、何故か此の『時宗寺』さんの山門下で直角に曲がっています。

 

 用水が流れている為拡幅が難しいのか、車両のすれ違いも難しい位狭い交差点になっています。

 

 『湯川』の造り出した『河岸段丘』はかなりの高低差を持ち、これを鉄壁の防御壁とした『落合城』も近くに或る位の場所です。

 

 

 山門前には『水子不動尊』が祀られています。

 

 六地蔵を過ぎると駐車場。参道は手前を曲がりまして

 

 

 広場の一角に『滑り台』などが置かれています。真っ平らな広場はゲートボール場かな。

 

 

 でもう一度まがると本堂が見えて来ます。

 

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本願橋

 

 有名な橋じゃ無いんですけど、「湯川』が『千曲川』へと合流する『鳴瀬地区』に掛かる橋です。

 

 2019年の台風により湯川上流が氾濫、流れ出た流木などにより橋が決壊してしまいました。

 

 しかし近くに『高瀬橋』が在り、早急な修復工事が必要な訳で無く、『市道』修復工事の中でも後回しにされていた橋です。

 

 それが2024/3に無事に工事が終了しました。

 

 

 大きな橋の開通式などでは、一番乗りを競って徹夜で並ぶ人とかいますけど、私ゃ全然興味在りません。でもこの橋が開通した事を新聞で知り、ノコノコ出かけてきました。

 

 

 橋が修復された事によりどれだけ生活が便利になったか………?

 

 私にゃ良く解りませんが、税金の使い方として間違っちゃいない筈。

 

 佐久市の東部に大被害を出した2019年の台風19号。

 

 今だに山間部林道などでは通行止めが見られます。まぁどれだけ必要性の在る道路か解らない位、交通量も少なかったんでしょうけど………(私ゃオフロードバイクで走りたいだけです)

 

 

 

 昔の吊り橋、好きだったなぁ。

 

沓掛温泉

 

 『沓掛』とは、以前『中仙道・沓掛(現軽井沢)』を調べた時、『旅人が峠越えの安全などを祈願し、履いてきた『草鞋』や『馬の沓』を神社仏閣に奉納する事。』と在りました。(体の良いゴミ捨て何て考えていませんです。ハイ。)

 

 江戸時代、『松本』と『上田』を結ぶ『東山道・保福寺峠』を行き交う人は、長く厳しい峠越えの前に足元を整え、古くなった草鞋を奉納して、安全祈願したのでしょう。

 

 温泉宿の裏手には『薬師堂』が建っています。(今回バッテリー切れで写真無しです)

 

 でも『草鞋』なんぞは無かったなぁ。(在れば不法投棄か?)

 

 果たして『沓掛温泉・小倉の湯』は、建物こそ新しくなりましたが、以前(30年振り?)と変わらない萎びた雰囲気で佇んでいました。

 

 

 料金、今どき大人¥200(2024/4/1~¥300)なんて滅多にないです。(但し石鹸・シャンプー等持参)

 

 源泉は2種類。低温(=40度)と高温(=45度)が在り、浴槽に温泉を足して温度調整する仕組みです。でもやっぱりチョットぬるめ。

 

 建物内は流石に撮影出来ませ。

 

 

 隣に温泉を利用した『洗い場』が建っていますが有料施設。

 

 利用料金が 『洗濯=¥50。穂籾浸湯=1個¥100。漬菜洗い=¥400。洗車!=¥200』と案内が出ています。

 

 道路が凍結するので冬場は利用できません。

 

 

 あららバッテリー切れで写真がおかしくなってきた。

 

 それとも此処に来る前に寄った『仁古田・地下飛行機製造工場』の影響?

 

仁古田飛行機製造地下工場跡

 

 仁古田交差点にポツンと立っている案内を見つけ、山の方へと向かいます。

 

 案内に従い細い山道に乗り入れ、拡幅部に車を停めて歩く事数分で

 

 『仁古田飛行機製造地下工場跡』の洞窟入口に辿り着きます。

 

 

 雪の残ったぬかるんだ泥道を数分進むと

 

 

 山の中腹に突如頑丈な鉄格子が。

 

 洞窟の入り口は閉鎖されていました。

 

 

 二十数本の坑道が50~100m掘られていたとデータが残されていますから、入って調べたのでしょう。

 

 現在入り口からほんの数メートル進んだ場所で崩落が起きており、奥を確認する事は出来ません。

 

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上田飛行場跡

 

 千曲川の氾濫は江戸時代の『戌の満水』が知られていますが、それ以外にも幾度となく氾濫しその都度復旧してきました。

 

 堤防の護岸工事が完成する以前の昭和初期に千曲川の水が増水し、上田市の千曲川西岸地区を襲いました。これにより広大な面積の田畑住居を損失してしまいます。

 

 当初行政は農耕地の復興を目指しますが、余りに広範囲に広がる流失面積と用水の確保の難しさから農耕地の再興を断念。田畑を失った人への救済措置として土木作業員雇用という形をとり生活の安定を図ります。しかし当時の人口数からしても『住宅地』や『工場誘致』の必要性は無く、只広大な真っ平な場所を造っただけでした。上田市はこれを『市営飛行場!』として整備を進めます。(日本に数ある飛行場でも『市営飛行場』は当時二か所しか無かったそうです) 世界情勢は次第に第二次大戦へと向かう中、『上田市営飛行場』も『軍用飛行場』に接収されます。

 

 1941年『陸軍上田飛行場』として発足、多くの訓令生が此の地で練習を重ね上田市上空を飛んでいたそうです。

 

 現在『上田市千曲高校』のテニスグランド脇にポツンと石碑が残っているだけです。

 

 写真を撮ろうとカメラを向けた先、スカート姿の高校生が大勢いたので大慌てで一枚だけ撮影して即移動です。(通報なんかされた日にゃ、どえらい目に遭いそう)

 

 

 当時の安全基準からしても、命を落とした人がいたのでしょう。『南無観世音菩薩』と彫られた碑が痛々しいです。そんなこんなで碑文もろくに読む事が出来ませんでしたが次に向かった先は

 

 

 迷いながら辿り着いた場所。『上田飛行場半地下工場建設跡』

 

 案内看板は建っているのですが………何処?

 

 

 此の『割れたコンクリート』がその施設の一部だそうです。

 

 と言われてもねぇ。周囲には普通の振興住宅地と化してるし。

 

 看板の横も駐車場だし。

 

 戦争遺構がこの場所に在ったとはにわかに信じられませんでした。

 

 で次も戦争遺構。『仁古田』へ移動です。(続く)

 

 

依田神社

 

 『丸子』の依田川西岸には『御嶽堂』とか『富士山』といった中々にして素敵な地名が存在します。

 

 実は此の辺り、『源義仲』が兵を集め、天皇へ直訴の為に京都へ登ろうとした出発点です。

 

 後の『旭将軍木曽義仲』こと『源義仲』は、『征夷大将軍・源頼朝』に反旗を翻し天皇家を味方にするべく上京します。『源義仲』の父は家督相続の争いに巻き込まれ『源義平』に殺されてしまいますが当時二歳の『義仲』は『木曽・中原兼遠』の元で蟄居させられます。(この時幼馴染で共に育ったのが『巴御前』とされています)

 

  元服し、『源義仲』を討伐すべく『上田市・丸子』の地に於いて『挙兵』、『反幕府』の応援を得て一大勢力となり『木曽谷』を本拠地として『木曽義仲』を名乗ります。

 

 『木曽谷』は、その豊富な『森林財産』と従順な『木曽馬』(小型で力が強い)の産出地で在った為に、強靭な『騎馬軍』を形成。『旭将軍義仲』と呼ばれる様になります。

 

 『日本三大美人・小野小町・巴御前・静御前』の三人に数えられる『巴御前』と結婚。

 

 共に戦場にて戦ったとされています。(其の時の有名な言葉が「男に生まれ共に戦いとうございました」です)

  

 

 『御嶽神社』の鳥居の奥、山の上に『木曽義仲館跡』が在るのですが、(看板には400mと書かれてはいますが………)結構急峻な上り坂を行く事に成りそう。

 

 周囲を見渡しても『幟立てのポール』の先、神社らしき建物は見えません。

 

 てことは山頂まで登るのか。で日暮れ迄に行きたい処があるから今回パス。

 

 

 次に向かったのは『依田神社』

 

 

 歴史的には『鎌倉幕府』始めの頃ですから、今から830年前この辺りに武装兵士がウロウロしていた事に成ります。

 

 

 参道には枯れ枝などが散乱していて、余り人が訪れていない?

 

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姥石

 

 国道254号線沿いの『佐久総合運動公園』入り口を少し東側に大きな岩が置かれています。

 

 よくよく見ると『祠』が祀られ『石標』も立っています。

 

 此の辺り、バイパス開通の為に山を切り開いた場所。この岩も移動されたのかもしれません。

 

 

 国道254号線を利用する場合、家からは旧道を通る方が都合がよく、滅多にこの前を通りません。尚且つ『切通し』の陰になって気が付かない人も多いかも。

 

 

 『祠』の側面には「国道工事の為に此の場所に移転」と彫られています。

 

 その左右に『お地蔵様』と『阿弥陀如来様?』 台座は新し目ですが『座像』はかなり年季が入っていそうです。

 

 『祠』の屋根部分も大夫風化しているのか、柔らかい『佐久石』で造ったのか、良い塩梅に寂れています。

 

 近づいてみたのですが特に説明も手掛かりも無し。

 

 何故『姥石』なのかも書かれていません。佐久教育委員会さん出番ですよ。

 

 地獄に行く途中、来ている服を剥ぎ取り、重さを測る『剥ぎ取り姥』がいるそうです。

 

 服の重さでは無く『罪の重さ』を測るらしいのですが………。

 

 私ゃ地獄にゃ行かんもんね。(と思いたい)

 

平賀神社 part2

 

 日影に残った雪の上に幾つもの足跡が在りました。

 

 地域の人に大事にされている証拠ですね。

 

 急な石段を登り(ホント手摺が有り難い)中段に在る『社務所』へ。

 

 何やら神棚も在るんですけど、祀られている御札までは読み取れません。

 

 初詣や秋祭りなんかの時はさぞや賑わうんでしょうね。

 

 

 時計の時刻もピッタリ合っています。多分最近人が入っていますね。

 

 

 『本殿』の石垣をよく見て驚いた。

 

 『切剝ぎ積』の石垣ですが、大分凸凹しています。

 

 石垣の後ろの土が崩れた? 此のままで大丈夫なんでしょうか。

 

 

 膨らんでいるのが伝わるかな。

 

 

 本殿を風雨から護る為の『トタン囲い&ガラス張り』 

 

 貴重な建築物を保存する為ですので仕方ないですけど………カメラ泣かせです。

 

 神様にレンズを向けてはいけないという人がいますけど、撮影禁止以外ならきちんと参拝した後に私は撮影します。(ルールが在れば従います)

 

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平賀神社

 

 広い佐久平の周囲を取り囲む山々には、其々に敵の進入を見張る為の『砦=山城』が存在していました。

 

 そして『城』が在ればその領地には、信仰する『神社』が建てられるのが常です。

 

 『平賀神社』も『平賀城』の建つ山裾に在ります。

 

 戦国武将が領土拡大を求めて敵地に攻め込む時、いかに早くその動向を察知し迎え討つかが重要な防衛策でしたが、甲斐の国の強靭な『武田軍』には到底かないませんでした。

 

 『城』は破壊されてしまいますが『神社』は残されました。

 

 同じく『寺院』も残されますが庇護を受ける為『武田菱』を掲げるようになります。

 

 

 『平賀神社』の一の鳥居は表通りに在りませんので気が付かない人も多いのでは?

 

 近くに『平賀小学校』が在り、道が狭くなったり、カーブ付近の横断歩道が在ったりで『わき見運転厳禁ゾーン』ですので周囲を見る事が出来ないのかも知れません。

 

中込駅

 

 昭和の末頃まで、『中込駅』は高校生の通学利用者数の多い駅で、駅前には『中央名店』や『プラザ』のショッピングセンタービルの他にも『ショッピングモール』などが在り、千曲川に近いエリアでは『飲食店街』が軒を連ね大変賑やかな場所でした。

 

 『新幹線駅』が出来てから、佐久の中心地は『佐久平駅周辺』に移行。尚且つ『飲酒運転撲滅』により『飲み屋街』も大夫寂れてしまいました。

 

 今でも『駅前旅館』の残る風情ある『中込駅』、待合室も大夫変わりました。(何度もブログに書いていますので今回割愛です)

 

 駅の東側には車両保管庫が並び、幾本ものレールで結ばれています。

 

 昔、SL車両基地の在った頃は、此の場所に『機関車転車台』が在り、放射状に『車両保管庫』が並んでいましたが、今では『第一建設工業』や宅地に転用され、その規模も随分と縮小されています。

 

 

 訪れた時、丁度連結作業をしていて、ゆっくりと機関車が動いていました。

 

 

 残念ながらこの先は例の『関係者以外立ち入り禁止』の看板が出ています。

 

 事務所に立ち寄って許可を受ければいいのでしょうけど、個人相手では許可も下りないでしょうし。

 

 現在の機関車編成のほとんどが、先頭=『運転席&機関車』。続いて『客車』の牽引スタイルです。

 

 電気式機関(モーター)車の場合、先頭=『運転席&駆動モーター』、続いて『客車(&駆動モーター)』、最後尾に『運転席&車掌室』となっており、終点で機関車を入れ替える事無く戻ってくることが出来ます。

 

 SLの時代では常に『先頭=蒸気機関』で在る為、一度切り離して機関車の向きを変えなければなりません。

 

 『中込駅』に転車台が在った理由は、『JR小海線』の前身『佐久鉄道(小諸駅=中込駅)』の終着駅だったからで、次いで『小海駅』迄延伸。更に『中央線小淵沢』延伸し、現在の『JR小海線』が全線開通しました。

 

 余談ですが『中込駅』の北隣の『滑津(なめず)駅』を起点に『小諸駅』~『篠ノ井駅』~『松本駅』~『小淵沢駅』~『中込駅』迄を『遠回り』で廻る事が出来たそうです。(遠回りについてはググってね)

 

 現在は『私鉄』が関与するので出来ません。

 

 「昔は良かった」は年寄りの言葉と思っていましたが、「ホントに昔はよかったなぁ」

 

 って俺は年寄か………。

 

下越・諏訪神社

 

 日本における『神社』はおよそ『88000社』在ると云われています(神社庁発表)。

 

 

その中でで一番多いのが『八幡神社』(八幡宮) その数『4800社』と云われています。

 

 次いで『伊勢神社』(神明社・神明宮・皇大神社等含む)、『天神様』(天満宮・北野神社等含む)、『稲荷神』(宇賀神社等含む)、『熊野神社』(王子神社・十二社等含む)そして『諏訪神社』となります。

 

 長野県は『諏訪様』発祥の地ですので各地・各集落で見かけます。

 

 更に『薙鎌』を御神体としてお供えする場合が多く、林業や野良仕事で山に入る人から絶大な信仰を集めています。

 

 でも此れはあくまで『神社』として登録されている数。実際には『小さな祠』等に祀られた物まで数えると全国に10000社を超えるとか。(尤も『八幡様』は40000社以上?)

 

 『諏訪様』は夫婦の神様ですので『縁結び』にご利益在るそうです。(上社・下社で別居中ですけど)

 

 『八幡様』の『戦勝祈願』のご利益(清和源氏の崇拝により全国に広がった)よりずっと平和的ですよね。

 

 

 『長慶寺』さんの隣に鳥居が見えました。

 

 脇柱付きの立派な鳥居ですが色褪せてるのが歴史を感じさせます。

 

 

 雪の上に足跡は無く、取り敢えず参拝。

 

 『社』を護る為に建物で覆われていますが、ガラスが汚れていて中が伺えません。

 

 正月に注連縄を替えていますので、窓ふきもお願いしたいな。

 

 長野県における『諏訪様』は、四方の『御柱』が七年に一度立て替えられます。

 

 この神社には『御柱』が見当たりませんでしたが、昨今は『氏子』の人手不足につき、簡略なのかも知れません。

 

 『祭』の際に建てる『幟立て』も以前は大人数で『太い木の柱』を立ち上げましたが、便利な『金属ポール』が常設されるようになり、滑車で引っ張り上げるだけ。ずいぶん楽になりました。

 

 この『金属ポール』が目印になって、そこに『神社』が在ると解って便利なんです。

 

 只、落雷の危険も在るそうですが。

 

長慶寺

 

 臼田駅に程近く。でも行った事無かったです。

 

 駅より東寄りに『農道・川上佐久線』が開通したのが原付免許を取った頃。それ以降『臼田駅周辺』は通った事無かったです。

 

 

 駅前で見た案内図を頼りに進んで行くと『高札所」が在りました。

 

 尤も明治時代にはすでに用済みの代物で、多分これも掲示板等に利用されて今に至るのではないでしょうか。

 

 『高札所」が在ったとすれば主要幹線道路だった筈です。他に何かないかと周囲を見渡しても他に名残は在りませんでした。

 

 

 『高札所』から進んで行くと『長慶寺・石門』が在りました。

 

 『山寺』であろうとも『石門』は幹線道路に設けられる事が多いですので、やはりこの道は当時から重要な意味が在ったのでしょう。

 

 『正式名称 天台宗・越田山・長慶寺』 (山号は此れで良いのかな)

 

 

 フムフム 『天台宗信越教区実務寺務寺』 ですと。

 

 

 数日前に降り積もった雪が解け始め、『鎖樋』を流れ伝わって落ちてきます。

 

 その音の涼やかな事。

 

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 臼田駅前交差点の脇に

 

 

 『石臼』が置かれています。

 

 てっきり只の『石』だと思っていたのですが、改めて見てみると。

 

 

 新しい『臼田橋』完成の折に、橋の上でセレモニーとして綱引きが行われました。

 

 その時真ん中に置かれた『石臼』に綱を結び付け、橋の両側から引っ張り合ったそうです。其の時の『石臼』との事です。

 

 江戸時代の『戌の満水』と呼ばれる水難災害があり多くの犠牲者が出ました。

 

 毎年8月1日、会社関連は『墓参り』の為休業日として犠牲者の冥福を祈ると共に、地域によっては餅を搗いて振舞い安全を祈願したそうです。

 

 

 ちょっと洒落た地域案内も立っています。

 

 知らない駅で降りたりする時、さて何が在るのかな?と頼りにするアレ。

 

 写真付きだと大変ありがたい。

 

 日本一の『パラボラアンテナ』や『日本一海岸線から遠い地点』や『五稜郭』、『国重要文化財』や『県重要文化財』これ等は全部廻っているから今回はいいや。

 

 

 反対側は地域案内図です。デフォルメされていますのでイマイチ距離感が掴めませんけど。

 

 で見つけたまだ行った事のない『お寺』 次回です。

 


 こーちゃんの”毒談と変見”

 ぴんころ地蔵から車でほんの数分も走れば、黄金色輝く田圃が広がります。浅科区では五郎兵衛米というお米が獲れます。内緒にしておきたいくらい美味いです。

 

新米が出回るのはまだまだ先ですが、一度お試しください。道の駅、お土産売り場等で買えます。五郎兵衛米です。ブランド価格します。

 

40年も昔の話。田圃にコンバインの姿が無く、稲刈りした稲束をハゼという棒に掛けて天日乾燥させていました。

 群がるのは  イナゴ。バッタのことですが漢字では  蝗。稲穂を食いつぶす害虫です。

 

 小学校の授業の一環で、イナゴとり  がありました。イナゴを全員で採取して駆逐し、尚且つ業者に売るのです。その利益で図書館の本や備品購入代金にするのです。

 買った業者はどうするのか?佃煮にして売るのです。

 信州三大珍味。(ゲテモノ?) ハチの子ご飯。イナゴ、カイコの佃煮。ザザムシの佃煮。えっ?本当に食べてたんです。今でも缶詰や瓶詰で売られています。しかもお値段なかなかの高級食材。

 都内某所の居酒屋で、イナゴの佃煮7~8匹で¥500でした。

 

 高級食材入手の際、田圃でのトラブルはお避け下さい。


 北大路魯山人 の逸話に、「田螺の生茹でが大好物。この田螺に寄生していたアニサキスのせいで早死にした。」とあります。ほんとうかどうか真意はさて置き、田螺もたべていました。

 秋の味覚のひとつです。


 こーちゃんの"毒談と変見”

 

 信州佐久は、誇れるものがたくさんあります。


 晴天率もその一つ。昼間は太陽光発電が威力を発揮していますし、夜は天体観測にもってこい。少し山間に入って生活光の届かない処で車を停めれば、肉眼でもはっきり見える天の川。宇宙飛行士  油井さん  の搭乗している宇宙ステーションもその軌道が肉眼で見えます。

 

 油井さんといえば、佐久の隣、南牧出身です。


 ついで宇宙つながり。JAXAの打ち上げた「ハヤブサ」を覚えていますか?通信不能になり行方不明になった「ハヤブサ」を諦める事無く追い続け、地球帰還に導いた影の立役者「日本最大パラボラ電波アンテナ」があります。(写真はまた今度)


 ちなみに写真は ちょうげんぽう だとおもいますけど。


  浩ちゃんの ”独断と偏見”

 28/8/2015


 いらっしゃいませ。玉屋の こーちゃん です。

 

 パソコンで遊び出してまだ間もない為、多々不愉快な点等御座いますが、平にご容赦願います。

 

 ホームページも初めて。ブログも初めて。何から何まで暗中模索で楽しく? 苦しんでいます。

 

 キーを叩くのも指一本で足りてますから、その更新ぶりも推して知るべし。目標は1日1本のアップです。

 

 前置きはさて置き。

 

 ぴんころ地蔵。

 

 正式名称は [長寿地蔵尊] とお腹に書いてあります。

 

 今では日本各地に、長寿祈願のお地蔵様がありますが、元祖本家本元この地で生まれました。

 

 歴史的にはまだまだ浅く、巣鴨の「とげ抜き地蔵」さん何かと比べられると…。

 

 でも、その柔和な笑顔が こーちゃん は好きです。