『神社』でしたら『里宮』と『奥宮』ですが『寺院仏閣』ですと『本院』と『奥の院』でしょうか。
『米子瀑布』は『修験者』が『滝行』を行う為の場所でした。
明治政府発令の『神仏分離令』『廃仏毀釈令』に続いて『修験道禁止令』が出されると『修験道』としての修行の場から『仏教』の修行の場へと移り変わります。
それに伴い『米子瀑布』の近くに『御堂』が建てられ『米子不動奥の院』の扱いになります。
駐車場から歩き始めて45分程で、山の中に建築物が見えて来ます。
実は此処。昭和初期まで『米子硫黄鉱山』が川を挟んだ対岸に在り、車や馬車で『米子鉱山』迄入れました。そこから『策動ケーブル』を『米子不動奥の院』迄渡し、荷物を運んでいました。現在でも現役稼働の『策動』がみられます。
先ずは『参拝』
賽銭用の格子戸の隙間からレンズを向けました。
自然光撮影の為、ぶれちゃいました。御本尊が良く解りませんけど『御不動様』だと思うんですけど……
奉納された『剣』や開山者の掛け軸。紅白の『百匁蝋燭』や幕に描かれた『六文銭』と『輪違い紋(真言宗)』
う~ん上がって拝見したいけど、残念ながらトップシーズンの土日位しか人が詰めていないから仕方ない。例祭の日には拝見できるのでしょうけど……
御堂周辺には様々な『石碑』などが建ち並んでいます。
中にはかなり古い物も。
そしてもう少し登ると『不動滝』と『権現滝』ですが今回此処まで。