山の神

 

 『米子鉱山』の開発は古く、ナント寛永年間(1624年)には採掘の記録が在るそうです。主に採掘されたのは『硫黄』で、火薬材料に使われました。

 

 昭和初期の戦時需要の拡大で大規模な採掘がなされましたが、戦争の終結以降は農業用肥料などに需要が見込まれ、『養蚕』が下火になった近隣から移り住む者の為に『町』が形成されました。

 

 『宿舎』を始め『共同浴場』や『売店』『診療所』や『小学校』も在ったそうです。

 

 今は広々とした『宿舎跡地』と『小学校跡地』が残されているだけです。

 

 『ベンチ』すら無い広場ですが、此処から『根子岳』~『四阿山・あづまさん』へ向かう登山口が在ります。故に『トイレ』が設置されています。

 

 

 登山口の手前に鳥居が見えました。

 

 扁額には『山の神』と在ります。

 

 一礼して鳥居を潜り、参拝………

 

 

 『賽銭箱』が見慣れたアレの形をしています。その名も『賽銭棒』

 

 『子孫繁栄』の為のモノでは無く、恐らく『山の神(女)』に喜んで貰う為です。

 

 『山』には『男の山』と『女の山』が在ると云われています。

 

 『男の山』は修験道などの修行に使われる、荒々しい登山困難な山が多く『〇〇嶽』『〇〇岳』などと表記される場合が多いみたいです。

 

 『〇〇山』などと呼ばれる山は『女の山』の場合が多く、山に登る際、天候が崩れそうな時など、山頂に向かって『立ち〇ョン』すると喜んで晴れにしてくれると云われています。(男の山に登る時は山に向かってしちゃダメ)

 

 

 何時の時代の物か、どの山の物か、一切説明等は在りませんでした。

 

 『米子瀑布』の『不動滝』は『根子岳』の沢に端を発します。『四阿山』から流れ出した沢は『米子川』となって『権現滝』を流れ落ち、『米子不動・奥之院』参道(登山道)沿いに様々な造形美の滝を造り出しています。

 

 そしてもう一つ。『群馬県・嬬恋村』の『パルコール嬬恋スキー場』の山頂駅直下から流れ下る沢は『米子鉱山跡』東側の絶壁の裏側を辿り『奇妙滝』を造りました。やがて『米子瀑布駐車場』傍で『米子川』へ合流し須坂市を通って千曲川に流れ込みます。

 

 

 かなり昔『米子不動』へは『米子鉱山』迄の林道を通る事が出来ました。(現在は『米子不動・奥之院』関係者のみ通行可)

 

 『奇妙滝』へは此の林道を歩く事に成ります………が、肝心の『奇妙滝・入り口』から先は『崩落の為立ち入り禁止』となっていました。

 

 

 この先に『奇妙滝』が在るのですが、近づけないから此処まで。

 

 流石に立ち入り禁止を無視して写真撮って来る訳に行かないもんね。