『諏訪大社・下社』の鳥居、実は『甲州街道』に建っているって知っていました?
『甲州街道』とは江戸時代、『四代将軍・徳川家綱』の頃整定された五街道のひとつです。
『三代将軍・家綱』が定めた『参勤交代』や、物流(飛脚・早馬)の為、『江戸』を中心とした『主要五街道(東海道・中仙道・甲州街道・日光街道・奥州街道)』を特に整備されました。
人や物が移動する為の道=『街道』は現在の様に舗装されている訳でも無く、雨が降ればぬかるんで歩行困難になったり、橋の無い川では『川止め』で渡れなかったり。
人の滅多に通らない様な山を抜ける街道では、『山賊』などが出たりして、命の保証も無かったとか。
又、人や御禁制を監視する為の『関所』が主要地点に置かれ、『出女・入り鉄砲』などに目を光らせていました。
『石標』をよく見てみると『右 江戸へ五十三里十一丁。左 江戸より五十五里七丁・京都へ七十七里三丁』と掘られています。
『諏訪大社』鳥居の脇を抜け、『諏訪湖東岸』から『釜無川』沿いに南下し、『笹子峠』からは『笹子川』に沿って『大月』へ。『笹子川』は『都留』方面から流れて来る『桂川』に合流し『相模湖」へと続き『相模川』と名前を替えます。『大垂水峠』の難所を超えて『八王子』『府中』と続き『日本橋』の『道路起点』までが『甲州街道』です。
『諏訪宿』は『中仙道宿場町』でも在りますので、此の場所が『中仙道』と『甲州街道』の合流地点。
『諏訪温泉街』のど真ん中に在り、『諏訪大社』にも近い為、かなり賑わったそうです。 人が集まりますから『酒蔵』が発達したり、『寺社奉行』の治外法権を利用した『博打』なども盛んに行われ、その手の人間も集まったそうです。その為『諏訪宿』では、治安の為の『番所』や、24時間見回りの為の『詰め所』が置かれました。
案内図を見ていたら面白い物を見つけました。すぐ近くなので行ってみよう。
『秋宮スケートリンク』 『日本フィギュアスケート発祥の地』ですと。
訪れたのは初夏。水面は見えなくて、雑草が一面を覆っていました。
冬に成れば又違った景色に成るのでしょう。
頑張れ~。未来のオリンピック選手。
現在『パリオリンピック』の真っ最中。
『何だかなぁ………』の判定が多くて見るに堪えない競技続出。
『オリンピック停戦』が無くなった世界情勢にも『何だかなぁ………』