本谷分校跡地

 

 県道124号線から『オボロカヤの滝』を通って『御巣鷹山』へと続く『中之沢林道』を走ろうと思って『ぶどう峠』経由で上野村入りしましたが、関係者以外通行止め。頑丈な鉄扉が閉められていました。

 

 『南相木ダム』と『上野村ダム』の中間には、地中に『発電施設』が在り、その立坑が航空写真で確認できます。おそらく『御巣鷹山トンネル』の群馬県側出口が此の辺りに在るのでは? でも通行止めなら仕方ない。

 

 で『中之沢林道』の反対側出口に在る『本谷分校跡地』ってどんな場所?と好奇心たっぷりに向かいますと。

 

 

 反対側のバリアーはポール式。人の通行は可能ですので少し歩いてみましたが何も無し。

 

 分校が在ったって事は、子供が歩ける範囲に集落が在ったって事。

 

 山奥では自給自足の為の『田畑』が必需の筈なのですが、そのような平地も見あたりません。

 

 

 昭和18年と云えば『大二次大戦』の真っ最中。戦争特需の『硫黄鉱山』らしき物は見当たらないから、『松根油』の採取?にでも大勢の家族が住んでいたのか。

 

 閉校となるのは昭和38年。今から61年も前ですから手がかり無しです。

 

 

 コンクリートブロックの積み方も不思議。(強度が無い)

 

 鳥居が在るから『神様』を祀っていますが、神様の名前がわかりません。

 

 鳥居を潜って参拝します。

 

 此の辺りまで人が入り込んで生活が在ったとは、とても想像もできない場所です。

 

 尚の事『中之沢林道』走ってみたくなっちゃう。