鏑神社

 

 国道254号線を東へ。消防署の見える交差点を左折すると『もみじライン』通称『姫街道』で『和美峠』経由『軽井沢』へ抜ける事が出来ます。

 

 今から50年程も前、世間を騒がせた『連合赤軍』が警察の捜査を逃れながら真冬の山中を迷走したであろう峠です。

 

 流れる『鏑川』は清流で『夫婦岩』などの景勝地や、緑掛かった温泉の『八千代温泉・芹の湯』などもこの街道沿いに在ります。

 

 『川越街道』の宿場町として発達した『西野牧』には『関所』も在りました。

 

 『佐久市浅科』の『五郎兵衛新田』には『関所破りの桜』と呼ばれる『桜の古木』が在ります。

 

 江戸時代、浅科の若者が所用で『上州(群馬県)』を訪れた際、桜の苗木を手に入れます。

 

 『川越街道』を往来する為『西野牧関所』の通行手形は持っていたのですが、帰り路、内山峠が通れなくなり、苗木を枯らすまいと考えた若者は『中仙道』経由を試みます。

 

 『横川の関所』を通ろうとしますが『通行手形』を持っていなかった為、通行を許される筈は無かったのですが『市川五郎兵衛』の元へ『桜の苗木』を届ける為と聞いた役人は『通行手形』を持たなかったにも関わらず通行を許します。

 

 無事浅科に届いた桜の苗は立派に育ち、現在も『関所破りの桜』として見事な桜の花を咲かせます。

 

 名前だけ聞くと『強行突破の関所破り』かと思いましたが、役人の粋な計らいだったんですね。(職務怠慢と云えばそうだけど、こんな怠慢なら大いに結構)

 

 その『西野牧宿』に『鏑神社』は在ります。

 

 

 神社にはかつて『格』と云うものが在り、此方は『村社』(格についてはググってね)

 

 逆に言えば『村の鎮守の神様』として、春秋の『村祭り』や『奉納舞』『奉納相撲』など村人の生活と大きく関わっていた筈です。

 

 

 キツネが護っているから『稲荷神』でしょうか。

 

 

 拝殿の手前に立派な舞台を持っています。

 

 娯楽の少なかった時代、一大イベントとして大いに賑わったのでしょう。

 

 

 拝殿で参拝しまして。

 

 

 舞台は裏手も備えた本格駅な造りです。

 

 白木の手摺は最近手直しされ手のかな。

 

 舞台の前にゴザでも敷いて、酒でも飲みながら芝居を楽しむ。

 

 スマホ全盛の現在では逆に新鮮かも知れません。

 

 どっかの村祭りで芝居とか掛からないかな。