神社仏閣を参拝する時は『一礼』から始まります。
『神社』の場合は『一の鳥居』を潜る手前で『これから参拝させて頂きます』の気持を込めて一礼を捧げます。でも『一の鳥居』が海の中だったり、とてつもなく離れている場合は省略ですけど。
『仏閣』の場合は大抵の場合『門』(総門だったり、石柱だったり、いきなり山門だったり)の手前で一礼。
『神社』『仏閣』共に身を清める為の『手水舎』が在るのですが、『鳥居』や『門』の中に在ったりします。
本来、『禊』をしてから一礼を捧げて『鳥居』や『門』を潜るのですが、現代では『手』や『口』を清める事で『禊』の代わりとしています。
参道の途中には川が流れており、橋を渡る事で『聖域』との区別をします。
『神社』では特に『太鼓橋』と呼ばれる『アーチ橋』が在り、神様のみが渡れるとされています。
『仏教』では『六地蔵』より先は『あの世(亡くなられた方の為の場所)』とされています。騒いだりふざけたりしない様に。
『神仏習合』の際、『神道』『仏教』の習慣・作法などがゴッチャゴチャになって、それが現在でも通用しているから尚の事良く解らん。
『鳥居』も『太鼓橋』も在りませんので、石段を上る前に一礼。
しっかしよく積み上げたもんだ。人の力は凄いなあ。
長年の歳月で、石段は決して平では無く、尚且つ苔が生えたり、枯葉が積もっていたりで歩きにくい。いや気を抜けば危険。補う様に石段を捲きながら山頂へと続く山道が造られています。
まぁ行ける所まで登って観ますか。
階段途中の踊り場で四角い穴の開いた『基礎石』が残されていました。
多分『鳥居』が建っていた場所でしょう。
この山の上まで『石灯篭』を担ぎ上げる人の足腰はどうなってんだろう。
『箱根駅伝』なんかぶっちぎりの『山の神』に成れるかも。
石灯篭の基礎も歪んでますけど、チャンと屹立しています。
上がる息を整えながら後ろを振り返ると。途中でもこの高さ。
杉木立の樹は、ほぼ同時期に植えられているから幹の太さはほぼ同じ筈。遠近感で細く見えているから其れだけ登っている事に成ります。
やっと登り詰めて稜線に出たと思ったら、其処には『石畳』が敷かれていました。
しかも参道は凸凹。根っこが成長して石を持ち上げたり、基礎の土砂が流れたりしたのでしょう。
良く見ると参道の左(南側)と右では樹木の種類が違います。
左側は自然林らしく樹皮に苔が生えています。(ブナ?楢?山の樹は良く解りません)
右側は恐らく近年植林されたのでしょう。『杉林』になっています。
頻繁に人が手入れしていそう。
稜線は割と狭いですが、石畳のお陰で崩れずに済んでいます。
土が露出した稜線などは年々風化が進み、歩行困難な場所も見られます。
(戸隠・剣の刃渡りなんぞは稜線の幅が40㎝!)
『笹』が植えられているのも、強靭な根っこが土砂崩れを防ぐ為に植えられたのでしょう。
漸く建物が見えて来ました。
続きは次回です。