太宰治 文学碑

 

 『帯島』から『竜飛岬灯台』へ向かう途中の海岸沿いに石碑が立っていました。

 

 

 『太宰治』 確かに青森県出身ですけど。竜飛にですか?

 

 何が書かれているんだろう?   

 

 『ここは 本州の袋小路だ 讀者も 酩肌せよ』

 

 旧漢字ですけど『津軽』の一節(らしい)です。

 

 『太宰文学』に触れる人は『走れメロス』で始まり『人間失格』『斜陽』……そして傾倒していく人と、ネガティブな文体に辟易する人に分かれるかも知れません。

 

 小学校の教科書で『走れメロス』を読んだ時、外国人の造った話かと思いました。

 

 『太宰治』と云う名前も、外国人作者が付けた『ペンネーム』だとばかり思ってました。(『小泉八雲』が本名『ラフカディオ・ハーン』と云うアイルランド人)

 

 『太宰治』もペンネームで、本名は『津島修治』です。

 

 津軽(金木)の大地主の家に生まれ、何不住なく育った筈です。何故暗~い感じの小説を書くのだろうか?

 

 生涯を調べてみると(Wikipedia)『薬物依存症』や奔放な『女性遍歴』そして数度となく繰り返された『自殺未遂』 小説家としての才能に恵まれながらも凡人には計り知れない苦悩の中に焦燥しきっていたのかも知れません。

 

 私が原付免許を取った頃、太宰治の小説『富嶽百景』を読み、『山梨県・御坂峠』の『天下茶屋』迄ツーリングした事が在ります。

 

 『河口湖』越に『富士山』が凛とした姿を見せ、『旧五百円札』の図案に採用された姿其の物が眺望出来ます。その峠の山中に『太宰治文学碑』が在りました。

 

 確か『天下茶屋』に長逗留して『富岳百景』を書きあげたと在りました。

 

 然るに、観光名所とすべく縁の場所に建っているのが『文学碑』 

 

 純粋な記念碑と云うよりは、まぁ商魂逞しいと云いますか……

 

 

 訪れたのは10月初頭。各地で夏日になる様な異常気象で半袖ポロシャツで充分でした。

 

 青い空と青い海。

 

 チョット『太宰治』の雰囲気じゃ無い様な……