恐山賽の河原

 

 「人は死ねば恐山にいく」と云い伝えられている『恐山』

 

 よくも此の地を探し出し、『霊場』として『菩提寺』を建設したなぁとつくづく思います。

 

 時は貞観4年(862年)『慈覚大師円仁』に見いだされ開山。『菩提寺』が建立しました。『比叡山延暦寺』で修行を積み、『夢のお告げ』に従い諸国を説法して歩きましたが、『下北半島』の『うぞり』の地に『湖』と『霊場』にすべく『温泉地帯』を発見します。其の荒涼とした山岳地はまるで『賽の河原』 

 

 仏教の教え、『三途の川』を渡る為の場所にそっくりだと思われます。

 

 決して『不浄』を感じる場所では在りません。

 

 人によっては近付く事さえ躊躇う人や、体調が急変する人も居るそうですが私は『霊験あらたか』を感じました。

 

 

 今まで『比叡山延暦寺』や『高野山金剛峰寺』の霊場も訪れていましたがやっと念願かなって『恐山菩提寺』に参拝出来ました。

 

 ぶっちゃけ、先代が他界して10年。相続などもこじれたままです。せめて遺言状でも有ればと探しましたが、『ピンピンコロリ』を実践してくれたおかげで何も無し。それも其の筈、亡くなる前日『麻雀』で朝帰り。早朝から降り出した雪を片付ける為『雪かき』で一汗。寒気がするからと布団に入って次の日、寝たままで旅立ちました。酒もたばこもやらず、常時服用の薬も無く至って健康そのもの(糖尿・高血圧の家系です) それが突然ですもの……周りも驚いたけど本人が一番びっくりしたんじゃない。十年間、家業を継いで何とかやってきましたが、コロナの影響や、観光名所『ぴんころ地蔵』の人気下火に伴い収支は低迷。ひょっとしたら父が私に何か言いたい事が有るんじゃないかと、『恐山』を訪れました。

 

 『イタコ』による『口寄せ』なども考えましたが、『菩提寺』に来れた事に感激し、もし本当に父の言葉を聞いたらなんて考えは無くなっていました。

 

 『恐山』 一度は訪れてみてください。いや訪れるべき場所です。

 

 

 開山者の『慈覚大師円仁』を祀る為の御堂です。

 

 だから『カラス』が似合い過ぎだって。

 

 もし『賽の河原』を訪れる人は、『飲み水』の他『線香』も持参したいです。(タオルもね)

 

 賽銭は『硫黄』で変質してしまうので『本堂』や『地蔵堂』のみに留めたい処ですね。

 

 

 十月初頭でも半袖で充分な気候(異常気象が毎年起こると異常じゃ無くなり平常)でした。

 

 針葉樹の緑の中、色付き始めたのは『ナナカマド』でしょうか。

 

 白く咲く花は『イソツツジ』 高山の強酸性地や噴気孔の近くでのみ咲く花です(違ってたらスミマセン)

  

 

 砂と溶岩石ばかりを予想していた『賽の河原』が意外と植物の多いのにビックリです。

 

 

 先祖への手向けに『風車』持って来れば良かったかな。

 

 

 慈覚大師が座禅したとされる石。いや座れないでしょ恐れ多くて。

 

 石を積んでる人が居るけど、夜中に鬼が崩して……私ゃ積みません。

 

 まだまだ続く。