言葉としてかなり辛い目に遭った時『地獄を見た』とか、其処から救済の手を差し伸べられると『地獄に仏』などと『地獄』『極楽』を使いますけど、私ゃまだホントの『地獄』も『極楽』も観た事ありません。(生きてますんで)
『浄土ヶ浜』とか『仏ヶ浦』『仏岩』『地蔵岩』『地獄覗き』『賽の河原』『地獄めぐり』……などなど仏教に関する言葉を使った地名・景勝地も実に多いです。
『宇曽利山湖畔』に向かって歩いて行くと、『東日本大震災慰霊地蔵菩薩像·希望の鐘と鎮魂の鐘』が立っています。
『鐘』ですから『鐘楼』を想像していましたが柱の中に納まる『鐘』でした。
小さいながらその鐘の音は高く澄んでいて、何時までも余韻が残ります。
裏手に廻って……ちょっとビックリ。
25世山主による『哀悼の辞』と沢山の手形。台座には『念じよう』
素材はコンクリートの為、人が手を押し当てたのではなく『手型』を押し当てたと思うのですけど、チョット……ねぇ。
『東日本大震災慰霊地蔵菩薩像·希望の鐘と鎮魂の鐘』の裏手に広がる砂浜が『極楽浜』です。
でも所々で風車が廻ってます。
湖畔に佇んで、暫くボ~っと眺めていました。
『白根山・湯釜』や『座生・御釜』と同じ『カルデラ湖』ですが、どことなく優しさを感じます。(賽の河原を歩いてきたからかな)
ベンチとか一切無く、只眺めてるだけ。でもそれが良いんです。