『香嵐渓』の在る『足助町』は、現在の国道153号線沿いに在ります。
その昔『中馬街道』と呼ばれていました。
この国道153号線、『愛知県・豊田市』と『長野県・飯田市』を結ぶ道路ですがイマイチ開発が遅れ、二車線無い部分も存在する山道です。
『徳川家光』の時代、『参勤交代』の為の五街道が整備されました。
『江戸・日本橋』を起点に『東海道』『甲州街道』『中仙道』『日光街道』『奥州街道』が整備され、街道拠点には関所が設けられ、宿場町には『本陣』や『問屋場』の設置が義務付けられました。
他にも『脇街道』と呼ばれる『主要幹線道路』や、生活必需品を運ぶ為の『街道』(塩の道・鯖街道)や『参詣街道』(伊勢街道・善光寺街道)なども在りました。
『中馬街道』も『尾張(愛知県)』と『信州(長野県)』を結ぶ物流街道として『塩』や『海産物』が信州に向けて、『農産物』や『炭』などが尾張に運ばれたのでしょうか。
思うんですけど『中仙道』が『木曽谷』を通るより、『伊那谷』を通った方が便利だったんじゃない?
実は『東海道』には難所が多く『越すに越されぬ大井川』とある様に、大きな河川には橋が無く、『渡し人足』に頼っていましたが、雨が降ると『渡川』が禁止されました。時代劇でお馴染みの『川止め』ってヤツ。他にも『箱根超え』はぬかるんだ坂道が旅人の行く手を遮りました。
『中仙道・木曽谷』も『木曽の桟』と呼ばれる難所が在って『木曽川』に突き出た『岩棚』に杭を水平に打ち込み、その上に板を渡して道としました。
『碓氷峠』や『和田峠』も狭い処では『駕篭』が通れる幅しか無く、しかも坂道。雨が降ったら滑って登れなかったんじゃ?
その後自動車の時代になり、幹線道路が整備され更にはバイパスが構築されると昔の『街道』は見る影も無くなってしまいます。
更に云うなら今の『高速道路』、『利権絡み』が何となく見えたりして……
『三州足助』は『足助氏』の領土として栄えてきた土地で、1427年に『足助氏居住地』跡に建てられたのが『香積寺』です。

『三州足助屋敷跡』は商業施設化しており、折角の古い建物が……

まぁ此の地は観光名所としてビジネス優先なのは分かりますけどね。
この後『旧足助宿』へ行ってみようかな。
