吾一庵

 

 『旧中仙道』の宿場町だった『長久保宿』 『江戸方面』からは笠取峠を超え、清流の流れる『五十鈴川』を渡ると宿場町に入ります。

 

 東西に開けた宿場町の西端は『依田川』が流れ、南に下れば『和田宿』経由で『和田峠』を越え『諏訪』、若しくは『大門峠』を超えて『茅野』方面へ続いています。

 

 北へ向かえば『大屋』で『善光寺街道』と合流、又は『保福寺峠』経由で松本方面へ繋がっています。

 

 車社会の現代では舗装された道を快適に走り、たとえ道を間違えても簡単に戻れますが、『徒歩』で未舗装の泥道を歩いた江戸時代では、一歩間違えれば命に係わる場合も在りました。

 

 地図の無かった時代、『最短距離=安全』ではない為、旅人はさぞや苦労してルートを決めたのでしょう。

 

 『長久保宿』は夜間の峠越えを回避する為にも重要な場所だったのでしょう。

 

 その宿場町が発展していたかどうかは『神社仏閣』を見れば想像できます。

 

 大きな『寺』が幾つもある様な宿場町では、それだけ多くのお墓が必要とされていたと解ります。(人口密度が高かった) 故に商業も発達するでしょうし、必要とされる食料も膨大になります。山間部で在りながら『依田川』の造った平地が多いこの付近では『稲作』に適していたのかも知れません。

 

 

 江戸時代からの建物が残る『長久保宿』の中程に『吾一庵』が在りました。

 

 私が『長久保宿』を訪ねたのは3月下旬の陽春の日。

 

 他にも『長久保宿』内に観光施設などが在るのですが、どこも『11月~3月末まで閉鎖』の所が多いみたいです。(観光客が少ないから冬季閉鎖って事?)

 

 

 街道に面して、広い間口を持ちながら『農家』?

 

 引き戸を開けて中を伺いますと。

 

 

 『引き戸』と『案内』の間を(古いガラス戸)『馬』が通り抜けていたそうで、土壁には当時の『農機具』が展示されていました。

 

 

 引き戸を開けると土間

 

 

 この『吾一庵』は個人所有の建物で入場・拝観無料。行政の施設が閉鎖されている中、唯一自由に見学出来ます。

 

 

 靴を脱いで上がりこむと、通りに面した部屋は展示室になっています。

 

 しかも天井が低い。身長178㎝の私が普通に歩くと梁に頭がぶつかります。

 

 

 多分『仏壇』が収められていた場所でしょう。

 

 煤け具合に時間の流れを感じます。

 

 某鑑定士なら「いい仕事してますね~」って言葉が出そう。

 

 続いて階段を上って……次回です。