観音寺

 

 戦国時代は『真田氏』の領土として統治されていた『旧中仙道』二十七番目の宿場町『長久保宿』 東に『笠取峠』、西は『依田川』と『武石村』との境をなす急峻な山並みに挟まれ、『上田』や『松本』『茅野』方面への交通の重要な分岐点です。

 

 1449年、『覚信』により建てられた御堂が元になりますが場所は不明だそうです。

 

 1600年、領主『真田氏』に請願して『松尾山福応寺』として依田川沿いに建立されましたが。河川氾濫により流失、1632年に現在の場所に『観音寺』として再興されました。

 

 

 正式名称『真言宗・松尾山・観音寺』

 

 『五十鈴川』沿いに駐車場が在ります。

 

 

 『観音寺』の御本尊が『地蔵菩薩』と云うのも不思議な話だと早速境内へ。

 

 先ずは本堂にて参拝。時代なのか扉は開きませんでした。

 

 庫裏に申し出れば拝観は可能なのでしょうけど………お賽銭が五円玉って訳にはいかない。音も無くㇲッと落ちていくのにしなきゃねぇ。

 

 お釈迦様の誕生日『灌仏会=花まつり』(今日4月8日だけど行けないな)にでも解放されるかも知れません。

 

 

 境内の隅には石積の上に『宝篋印塔』 良い感じに寂びています。

 

 

 参道の『二十三夜塔』に『文政十三寅年仲冬』の文字が読み取れます。『仲冬』とは陰暦の11月の事です。『1830年・寅年の11月』にこの石碑が立てられました。

 

 『二十三夜』とは『月待ち講』の一つで、月齢二十三日の夜、月の出を待って老若男女が集い、飲食などを共にして親交を深めた行事です。

 

 娯楽が少なく、移動手段も限られていた時代、『祭り』や『月待ち講』などは年頃の男女が出逢える貴重な機会の一つでした。

 

 『神社仏閣』の高台などに在る『月見櫓』に皆で集まり、飲食しながら歓談し『月の出』を待つ習わしです。

 

 石碑を立てて『月待講』が在るのを告知したのでしょう。(スマホが在れば『SNS』等に写真を投稿するのでしょうけど)

 

 この石碑の周りに若い男女が集まって、月を見ながら………ご自由にどうぞ。