『野沢の三地蔵』
① ぴんころ地蔵
成田山薬師寺の入り口に立つ『長寿地蔵尊』の事です。平成15年、長野県佐久市が長寿日本一に認定された事を記念して建立されました。その年の『高齢者医療費』を計算すると驚く程全国平均値を下回っていたそうです。此れは高齢者でも元気な人が多く、寝込んだり施設のお世話になったりせず大往生を迎えている人が多い事から、ぴんぴん生きてコロリと往生=『ぴんころ』と云う言葉が生れました。何とも言えないふっくらしたお顔のお地蔵様は『今治市・故 馬越正八さん』の作によります。この頃では『ピンピン』してるうちに『サラリ』と一筆したため逝く時は『コロリ』 この『サラリ』とは『さらりと一筆=遺言』です。大往生して本人は良い終焉を迎えるでしょうが残された者には『遺言』が大事。仲の良い一族に波紋を産まない為にも『ピン・サラ・コロリ』が宜しいかと。
② 日限り地蔵
時宗・紫雲山・来迎院・金台寺。『一遍上人』開祖のお寺です。商店街(旧佐久甲州街道)に入り口が在ります。手入れされた境内を進み、本堂の脇に『日限り地蔵』が在ります。このお地蔵様、例えば寝たきりのお婆ちゃんに『〇月✕日、私の結婚式の日には起きて出席できます様に』とか『〇日~✕日迄、大事な人が冬山に登りますが吹雪や雪崩に遭いません様に』などと日にちを限定して願掛けするお地蔵様だそうです。現代なら『センター試験の日に風邪などひきません様に』とか願掛けするのかな。更にはこの金台寺さん。「赤城の山も今宵限り。可愛い子分の手前達とも 別れ別れに……」で有名な『国定忠治』の子分『大間々の政』が上州から逃れ、一時寺男として身を隠していた逸話が在ります。
③ 出世地蔵
大圓山・四明林・本覺寺。昔はかなり水量のある川が『地蔵堂』の前を流れており、時々遊んでいた子供が落ちて流される事故が起きましたが、一人として命を落とした者は降りませんでした。人々は事故から守ってくれたお地蔵様へ感謝を捧げました。第二次大戦末期、沖縄決戦の地に『看護学生・積徳女学校』=『ふじ学徒隊』の部隊長として配属になった『小池勇助中佐』のお墓が在ります。敗戦色濃厚になり軍は玉砕を伝達します。自決しようとする女学生に「死んでは成らぬ、生きて故郷に帰り戦争の悲惨さを皆に伝えてくれ」と諭し生徒を逃がしたそうです。その後自分は責任を取って壕内で自決した方です。佐久の高校生が沖縄に修学旅行に行く際、このお墓を訪れる方が多いそうです。
他にも『人形工房サンキュー』さん本社前には『幸福地蔵』さんが祀られています。お顔から判断するに『馬越正八』さん、又は息子『馬越伝心(正和)』さんの作でしょうか。でも何故に鳥居?